心の相対性理論を考える
◯物理学上は相対性理論が認められたが、倫理学上はそうではない世界があるかもしれない
これはとある患者仲間の方にいただいた言葉です。
発達障がい、精神障がいと格闘しながらなんとか教員になって奮闘していた私ですが、ストレス性適応障がいに陥ってしまい、一時期療養していた時期がありました。そこで上記の言葉をくださる患者仲間のTさんと仲良くなりました。Tさんは早稲田大学の理学系の学部を出られているとのことでした。早稲田というネームバリューに理学という時代の最先端をいく言葉を聞いた私は、自らの専門分野・指導科目が歴史や倫理であることを公表するのが恥ずかしくなりました。理学に比べると日常に必要のないものに我ながら思てしまったので。しかし、Tさんは私の専門が歴史や倫理であると知ると、これからのAIの時代にこそ人文学は重要であると強く言ってくれました。そして、その際に口にされたセリフが冒頭の言葉です。
◯物理学上は相対性理論が認められたが、倫理学上はそうではない世界があるかもしれない
言われた瞬間は、言葉の意味がよく分かりませんでした。いや、今もTさんの意図する理解はできていないかもしれません。しかし、自分なりに解釈は進んできました。「相対性理論」にしろ何にしろ、物事は、物理学・倫理学、はたまた歴史学や生物学など数多ある学問の世界によって定義や答えが変化するものなのだと思いました。
例えば「生き返る」という概念を例に考えたいと思います。一般的に「生き返る」とは生物学的な意味での使われ方をイメージすることが多いと思います。いわゆる「蘇生」という意味での「生き返る」が一番定番かと思います。
一方、スポーツ選手が復活する時や評判が下り気味だった役者さんが評価を取り戻した時などにも「生き返る」という言葉は使われます。また、職場での人間関係にストレスを抱えていた人が地元の友だちと再会してホッとしたというような時にも「生き返る」が使われます。
「蘇生」以外の「生き返る」は、単なる比喩なのでしょうか。ここからは私なりの解釈ですが、全ての「生き返る」は喩えでもなんでもなく純粋に「生き返る」という意味であり、「相対性理論」の時のように、同じ「生き返る」の4文字でもどの学問上の「生き返る」なのかによって答えが変わるのだと思います。生物学的な生き返る、心理学的な生き返る、社会学な生き返る、そこにはそれぞれの分野での答えがあるのです。
相対性理論が何かの説明もできない私が扱うのもおこがましい話題でしたが、普段通しているフィルターでは正解なことが、違うフィルターを通してみれば別の答えが出ることがあるかもしれません。あるいは、普段のメガネでは最新に見えるものが、違うメガネをかけてみればそれはお古であると見えるかもしれません。
療養中に、柔軟に物事と向き合うコツを教えてもらえた気がしました。