五度目の正直(葬式)
007は二度死んだが、私はもっと死ぬ(笑)。
自らの命を落としそうになった失敗が少なくとも過去四度あるから、今度の「死にそう」は五度目である。
もし、あの時。
25歳の時に起こした名神高速居眠り大破自爆の大事故で死んでいたら、愛する伴侶と明るくファンキーな家庭を築くこともなかった。
もし、あの時。
36歳の時の阪神淡路大震災の日に、ともに全壊した東灘のマンションか淡路の実家で寝ていたなら、2人のかけがえのない我が子との出会いも注ぎ続けた無償の愛も、アメイジングな成長に感動を重ねた日々も、何もかもがなかった。
もし、あの時。
大量下血で血圧がほぼなくなりトイレで絶命寸前意識不明の43歳の私を、朝方3歳の娘が発見してくれなかったら、その後の18年の間にお仕事などをともにさせていただいた全ての皆さんとの出会いも何もなかった。
そして、もし、1年前。
4度目の手術を受け心筋梗塞での死をなんとか免れたが、その前に毎日のように起きていた重篤な発作の、そのうち一つでもそれが死に至る致命的な発作であったなら、今こうしてブログを書いたりもしていない。
さて、五度目は、いつ来るだろう。
もう好きにして。いよいよ今度こそ、助かるまい。
と言うか、五度目こそはしっかり三途の川を渡り切らなくては、「三度目の正直」が常識の世間に対して申し訳が立たない。
もしまた途中で引き返してきてしまったら、その時は、自ら腹かっさばいてでも、今度こそお葬式に持ち込まなくては。
しかし改めてこうも思うのです。
四度の「あの時」、死なないで本当に良かったと。
すいません。五度目は死にますが、それまで好きにしてやります。
嗚呼、神様。
本当にありがとう