自分を愛すること大切にするのって難しい💦/愛(与える)の対義語は憎しみでも無関心でもなく、破壊(奪う)であると、私は考えます。
しかし③の時は、選択できる事や、選べる事が限られている💦
ゲームで言うなら、HPもMPもスタミナゲージもアイテムも、すごく少なくて、状態異常になっている感じです😰
冷静さ、客観視、理性、判断力も低下するのかな?
だからなのか、私の場合、自分にとって不本意な事や不利益な事をしてしまいがちです...
カードゲームで言えば、手持ちの手札が悪い手札=トラップカードばかりな状況😰
悪い意味で、自分にとって好ましくない、望ましくない状況と条件が整ってしまう...😰😢😣😱
いい手札(選択肢)を持っていても気付かなかったり、アホな事に捨ててしまう...😣
結果、トラップカードを自ら選び、自分自身に罠が発動して、自己破壊や自己虐待が起きます...
トラップカードの厄介さは、依存や悪習慣(悪い癖が付く)という条件を満たすと、特殊効果が発動して、手札からは永遠に消えないし、カードが勝手に増え続ける呪いのカードとなってしまう…
何で、そんな事をしたの?
こうなるって結果は分かってたよね?
後で絶対に後悔すると思うし、自分に失望して、自分が嫌いなるよね?
ねえ、どうして?
なんで、いつもそうなの?
まあ、そうなるわな...
ずっとずっと、私を客観視してきた、私の人格の一部の声です😞
どうにもならない状態で、自分の意志で、困難や難局を乗り越えるには、、、
新たなカード(選択肢)を引き続けるしかないと、私は思いました
ゲームなら最良のカードが出てくると信じる事であるし、自分の中にある、愛を信じること
私が思う愛とは、自分自身・大切な人・関わりや関係性のある人に「温かく思いやりのある言葉・行動・思い」を与える事と、私は思います。
愛の対義語が、憎しみであるのは、もともと愛していた人や無関心な人と何かが起きた事で、憎しみに変わる場合でしょうか?
マザー・テレサ氏が言ったらしい「愛の対義語は無関心」というのも、今は間違いだと思います。
それは、人間のちっぽけな頭と心では、多くの事に興味も感心を持つ事自体、生物として限界と限度があり到底出来ないし、人は無力だからです。
自分自身や大切な人や身近な手の届く人に、僅かな微力だけ。
世の中の、あらゆる貧困・虐待・戦争によって、不幸や苦しんでいる人を助けられるのは、仕組みや制度に関与できる、各国の政府や政治家や報道です。
その中で権力や権限がある人や、立場を持っている人、金を持っている人の役割だと、私は思います。
バブル経済崩壊後の約30年と、2020年から続いている地獄の3年間も、役割が放棄されて機能しなくなったからだと感じます。
愛(与える)の対義語とは「破壊」で有り、奪う事なのではないかと、私は考えます。
生物として、考えた観点です。
人間を含む、あらゆる動植物や微生物に至るまで、他の生物の命を頂きながら、共生して生きています。
何も奪わずに生命維持をしたり、自己増殖できる生物は、存在しないと思います。
自分自身の中の、愛を推し活する人に例えると
破壊はアンチと呼ばれる、反対者・妨害者・邪魔者でしょうか?
*ここでは、推しをする振りをしたアンチや、厳しい意見を言うのでアンチに見える推しをする人は、除きます。
自分の外側(現実世界)でアンチが現れたなら「関わらない・関心を持たない・無視する」のが最善だと思います。
それでも執拗に執着されあり、誹謗中傷が続くなら、警察や弁護士に相談して、法的対応が必要になると思います。
そして失言・失敗・失態があると、推し活する人とアンチの激戦が起きます…
冒頭に戻り③の状態になり、自分自身の心の中のアンチが多いと厄介で困ります。
自分自身との付き合いで、推してくれる自分も、アンチも増減するだろし、勢力や力関係も変わると思います。
誰の心にも破壊するアンチがあり増え過ぎると、その矛先が向くのは、自分自身?身近な人?著名人?なのでしょうか…