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「ないものねだり」ばかりになると苦しい/人や出来事のいい面を見る目も持ちたい/心ない人ばかりでない世間や社会

ないものねだり
今まで、あった生活・日常・仕事・人間関係が何らかの変化で失われる、喪失感と。
●今、手に入らない、仕事・収入・資格・物・人間関係などへの、不足感。

→「こんなもの、これしかない、大したことない」と感じたり、考えがちになる。

人や出来事の嫌な面しか目に入らず、自然と悲観的・絶望的な気持ちになり、 無力感が強まる。
(元々)自分の思い通りにならない人や出来事に対して、苛立ち、腹が立ってばかり…

けれど「ないものねだり」があるからこそ、理不尽や不条理に対して、抗う気持ちも生まれるし。

何か変な人や怪しい人、変な出来事や怪しい出来事の異常に、気付ける側面も持っていると思います。

人や出来事のいい面を見る目も持ちたい
→ここがいい、ここが好き、ここがお気に入り、ここが素敵、ここが有難いな、こういう所に感謝、と感じたり、考える見方。

今の現状、住んでいる場所、仕事、人間関係に対して、別の角度から見てみようという試みです。


モチロン、今いる場所や環境が「心ない人ばかり」「意地悪や嫌がらせをする人に粘着や執着されて、辛く苦しい状態なら」そこから離れていいし、逃げていいと、私は思います。


住む場所も、仕事も、人間関係も、これから変えるのは、ご本人の領域と人生の選択肢で、有り有りだと思います。


例えば、私はアパートに住んでますが、戸建や分譲マンションと比べたら、建物の仕様や構造に対して、物足りなさや不足感を感じます。

けれど
◎帰れる家があって、布団を敷いて安心して眠れるアパートは、とても有難いし幸せです。
◎自室で気兼ねなく調理や洗濯が出来たり、シャワーやトイレも有ること。
◎人の目も気にせず、部屋でヨガをしたり、踊ったり、好きなアニメを動画で見たりと、楽しく幸せな時間を過ごしていました。

私の場合、片目(ないものねだり)だけで、人や出来事を、ずっと見てきたのかもです。

これからは、もう片方の目(人や出来事のいい面を見る)と一緒に世間や社会を見ていきたいです。

私が今の私になるまでに、様々な分岐や分かれ道があったと思います。

心ない人や意地悪な人にも、恐らく分岐や分かれ道があり、そうなったのかと想像します。

けれど、それは相手の人生であり、その方の問題と領域だから、積極的に関わらないし、近付かないし、離れて距離を置きますが。

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