君死にたまふことなかれ/与謝野晶子さん/今も色褪せない勇気ある発信
世情が大きく変わり2年が過ぎ、教科書で習った、与謝野晶子さん(1878~1942)の詩をふと思い出しました
日露戦争中の1904年、雑誌で戦地にいる弟さんへの想いを寄稿されました
全文を読んだのは恐らく初めてで、下記のブログ様の記事を拝見させて頂きました
【私の感想】
現在は2022年で1904年は、118年前です
私は、日本語の研究者ではないですが、江戸時代(1603~1868年)が終った後と戦後(1945年以降)にかけて、文語も口語も大きく変わっている気がします
当時の言葉の理解がないと、正確に読み解くのが難しく、ブログ様の現代語訳や解説に、とても助けて頂きました
過去の出来事や史実や人さまの出生など、自分以外の第3者の事を書くのは、容易な事でなく、記事にすることすら躊躇いました💦
確かな出典や根拠がないと、過った情報を広めてしまいます…
教科書に載っている様々な史実や歴史は、一体何を根拠にされていたのでしょうか?
出版社さんに取材させて頂いて、過程を知るだけでも、おもしろそうです
(*時間とお金があったら…)
業務上、文科省や国会図書館などに、足しげく通われているのでしょうか?
学生時代は今ほど、勇気のすごさに気付けませんでしたが、今の世情を生きる1人の人間として、当時の情況を実際に見聞きできなくても想像力が働き、論争の一部を見ても、今に通じるものがあります
雑誌への発表前も後も、葛藤や苦悩があったのかもと、1人の同じ人間として思いを馳せます、、、
【世情への私見】
「***が落ち着いたら」という思いを、時々noteやTwitterで目にしますが、僅かにもたらされた希望や自由に表現できる範囲なのでしょうか?
法令が二類相当から五類へ見直されない限り、自由も人権も経済も元には戻らないという絶望感は、どうにもならない現実を考える時にいつも感じます…
私は匿名での発信ですが、実名や顔出しで、報道とは異なる考えや意見を言う事すら、とても勇気や胆力のいる事だと思います
誰もが仕事や家庭や生活があり言論統制下に、できる小さな事は自分の気持ちや思いに、心の中では嘘はつかない事だと思います
報道に対して疑うことなく従順であるのも、一つの生き方や処世術であり、人さまの考えや正しさに、あーだこーだと口を挟む気は、ありません
それでいいと思います
劣勢や味方が少ない中で、声を上げるのは、手足が震えながら、不安や怖れで心が押し潰されそうになりながら、、、
誰もが簡単に出来たり、容易に真似することが、とても難しいことだから、、、
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