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とある芸人さんに出会い、私は少しずつ変わった

ちょうど1年前、時が経つのを怖いと感じた。何の成長しない空っぽの自分のまま、ただただ月日は流れていき、いつの間にかアラサーの響きにも慣れてきた。

周りを見渡せば同世代は結婚して子供が2人いるのも珍しくない。一方私は実家暮らしで心許ない収入とあってないような心で生活していた。

私は自分の感情を表に出すのが苦手だ。子供の頃、先生や親が思っている正解の感情を出すのに必死だった影響かもしれない。頭の中で「この状況の時は悲しい気持ちになるのが普通だよね」と悲しい気持ちになっていたような気がする。もしかしたら昔「悲しくないなんておかしい!!」と気持ちを否定されたのがずっと頭に残っているのかもしれない。

いつの間にか私は本当の感情を悟られないように感情に固く蓋をした。だから感情を動かすのは苦手だった。開くはずのない固い蓋を開けるのにはエネルギーがいる。そして結局どう頑張っても蓋は開かず誰かの感情を借りて表に出す。蓋をパカっと開けて簡単に感情を取り出せる人とはやはり労力が違う。

学生時代、文化祭の準備がうまくいかず怒ったり泣いたり無事に文化祭をやり遂げて喜び泣いている人たちを見て、なんてパワフルなんだと驚いた。あんなに次から次へと感情を爆発させて平気なんて同じ人間とは思えなかった。それと同時にあんなに感情を表に出せたら気持ちいいのかもしれないと羨ましくも思った。

私は小学校低学年までは明るくて身体が丈夫な子として生きていたと自分でも思う。高学年あたりから徐々に暗くなり中学生の頃には「葬式みたいな顔して」と言われるようになった。そして大学生になると精神に異常をきたし、体調を崩した。

そんな私はアラサーの響きに慣れてきた1年前、急に何もせず月日が経ってしまうのが怖くなり目標を立てた。

本を読む

冊数を決めずにアバウトにしたのはしばらく本を読んでいなかったから自分がどのぐらい読めるのか分からなかったからだ。読み始めはキリのいい1月にした。

その時もできるだけ感情を動かしたくない自分がいた。だからまず、小説は避けた。

小説はそのの世界に入り込み過ぎてしまい現実世界がおざなりになってしまう。主人公が失恋すれば私も失恋したような気持ちで日常生活を送る。大切な人を病気で亡くせば存在しない大切な人と重ね合わせて心を痛める。どう考えても精神的なダメージが大きい。

ただ私の中で本と言えば小説だった。小説を選択肢から外した今、私は何を読めばいいのか。

そんな時に出会ったのが、ネットラジオ「リップグリップの出典」とYouTubeチャンネル「新書といっしょ」だった。

「リップグリップの出典」はマセキ芸能社所属のお笑い芸人・リップグリップの2人と作家のクシロさんがやっているネットラジオだ。このラジオでは1つの出典を参考に話を広げていく。3人の掛け合いが面白い。

一方「新書といっしょ」はリップグリップの倉田シウマイさんが新書を紹介するYouTubeチャンネルだ。生配信がメインで視聴者とのやり取りを交えながら新書を解説していく。

どちらも新書を取り扱っている。

私はこのとき初めて新書というジャンルを知った。テレビでよく取り上げられて知っている本でもジャンルを考えたことがなかった。

新書はその分野の専門的な情報が詰まった本だ。小説と違って感情を大きく動かされることはない。私は新書を読むことにした。専門的な知識でちんぷんかんな部分もあったが昔から分からないことは一旦スルーする癖があったので読み切れた。1冊で専門的な話を聞けるのは面白い。いつの間にか私は新書のとりこになった。

新書を読み始めて4ヶ月が経った時、小説に挑戦してみる気持ちになった。正直、読み終わった後の私はどうなってしまうのか不安だった。主人公に感情移入してしまいベッドとの距離がまた近くなるのではないかと心配だった。

結果、ベッドとの距離は変わらなかった。とてもキレイな小説で物語の終わりに圧倒され自室の天井をボーっと見つめた。と同時に小説を読み切れた喜びが涙となって溢れた。自分が思っていたより私は小説が読みたかったらしい。なんだ小説読めるじゃん。そこから私は小説も読むようになった。

しばらくして私はエッセイも読み始めた。私以外の人物がどんな人生を歩んでいるのか、どんなものを見て何を感じているのか知りたくなったのだ。でも心が暗く沈みそうなエッセイは避けたい。そこで私は旅行や食べ物についてのエッセイを読むことにした。

私は食べることや料理することが昔から好きだ。大学時代は栄養学科に通い管理栄養士の資格を取得した。そんな私は日本各地や海外の食べ物にも興味があり旅行と食べ物のエッセイはぴったりだった。

エッセイにはその人独自の息遣いや配慮、育ってきた環境や人間関係が感じられる。新書と違って言葉は柔らかく小説と違って現実だ。そこで私はまったりと誰かの日常を覗き見る楽しさを知った。

次に私はnoteに出会った。先ほど紹介したリップグリップの倉田シウマイさんがnoteを書いていた。YouTube配信で昔noteを書いていたと言っていたので検索してみたら思いの外すぐに見つかった。

私はこんな文章が読みたかったんだ。

誇張でもなんでもなく素直に思った。繊細で温かくて掴めそうで掴めない。雨上がりの澄んだ空気と土の匂い。晴れ間が少し見え始め、世界はキラキラ輝き出しているのに暗くドロドロした何か足元を流れている。なんとも言えない不思議な感覚になった。この感覚を人にきちんと伝えるために、もっと本を読んで言葉を知りたいと思った。この時、倉田さんのnoteを読んでいなければ今日の自分はない。そのぐらい私にとっては衝撃だった。

その後、倉田シウマイさんは新書といっしょの名前でnoteを書き始めた。新しく倉田さんの文章が読めると思ったら嬉しくて仕方がなかった。メンバーシップが始まった時もすぐさま登録した。


最後に私は歌集も読むようになった。これもリップグリップの倉田シウマイさんが短歌を詠んでいた影響だ。元々私は高校時代に文芸部に所属して短歌を詠んでいた。全国大会で賞を取ったこともあったがすっかり記憶から抜け落ちてしまいどんな内容だったか覚えていない。ただ授賞式に参加したのは覚えている。

短歌をまた始めようかな。久しぶりに短歌に触れてそう思った。いくつかの歌集を買い、今も大事に大事に読んでいる。そしていくつか短歌を作って応募してみた。

もちろんリップグリップさんはお笑い芸人なのでお笑いライブにたくさん出演する。その結果、私は本を読むようになっただけでなくちょくちょくお笑いを見に行くようになった。

朝活大喜利曜日対抗戦
どんな流れだったか思い出せない

私の住む長野県から新宿までは高速バスで4時間強かかる。これまでならバスの移動はひたすら寝ていたが今はひたすら本を読むようになった。乗り物酔いをしないように本を掲げ、まるで後ろの人に見せているかのように読書をしている。

朝早く高速バスに乗り、お笑いのライブを見て新宿の紀伊國屋で本を買う。そして高速バスで帰宅する。終演時間が遅い時は1泊し東京観光をしてから帰る。この1年でルーティンが出来上がった。

そしてこれまで音楽ライブや舞台、ミュージカルなど置物のように無表情で見ていた私がいつの間にかお笑いライブで声を出して笑えるようになった。

そもそも私って笑えたんだ。

もちろん日常生活で笑うこともある。けれど誰かと笑い話をして笑うのとは違う“笑う”を自分の中から発掘した気がした。

突然目標に掲げた「本を読む」だったが、私に多くの出会いをもたらした。新書に小説、エッセイ、note。読めるものが増えて世界が広がった。

今、自宅の本棚は100冊以上の本で埋め尽くされている。本を手に取れば本の内容だけでなく読もうと思った日や読んだその日のことを思い出す。小さなタイムカプセルになっていた。

下2段が読み終えた本(11/19現在)

とくにこの1年、リップグリップさんとの出会いは非常に大きかった。そして倉田シウマイさんの文章は私に元気と楽しみをくれた。私が犬だったらしっぽを振り過ぎてちぎれてしまうぐらい好きだ。

そしていろんな本を読めるようになったり声を出して笑えるようになったりを経て、感情を誰にも悟られないように生きてきた私がnoteに気持ちを綴れるようになった。

まだ、全ての感情を思うように吐き出せるわけではないけれど少しずつ自分は変わっている。

目標を「本を読む」にした1年前の自分を褒めたい。また1年後、どんな自分が待っているのか楽しみだ。

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