水曜どうでしょうの人。『大泉エッセイ 僕が綴った16年』を読んで
2015年に文庫版として発売されたエッセイを今更ながら読んだ。
大泉洋といえば私にとって『水曜どうでしょう』の人だ。もちろん俳優であることは知っている『探偵はBARにいるシリーズ』は何度も見た。レッドカーペットを歩いている姿も知っている。でも、私の中で大泉洋は『水曜どうでしょう』の人。私はどうしてもあの番組が好きなのだ。
一応『水曜どうでしょう』を知らない人のために簡単に説明すると、北海道のローカル局からスタートした大人気番組である。出演者は大泉洋と鈴井貴之、ディレクターの藤村忠寿と嬉野雅道の4人。たぶんこんな説明で大丈夫だと思う。
私が『水曜どうでしょう』を初めて見たのは大学生の時だ。深夜に放送されていて、なかなか寝られない夜に見つけた。『水曜どうでしょう』という番組自体は知っていたが、いつやっているかどこで見られるかなんて何も知らなかった。そもそも見たことない番組を見ようとも思わなかったので調べもしなかった。初めて見たときを振り返ってみれば奇妙な番組だったな。真っ黒な画面や風景にテロップが出る。演者を映さない。そもそもディレクターが喋りすぎている。テレビでそんなことをしていいのかと驚いた。
Netflixにあるものは全て2回以上見た。お気に入りは何かと言われるととても困ってしまう。ユーコン川も原付日本列島制覇、ヨーロッパ20ヵ国完全制覇、原付ベトナム縦断、ジャングルリベンジも外せない。夜行バスの旅もサイコロの旅も。
私は社会人男性がわちゃわちゃバカげたことをしているのが好きだ。社会人女性でも高校生男子でもダメだ。良い歳と言われる年齢の男性がふざけ合っているのが良い。
昨年の10月、私は数年ぶりにインフルエンザになった。39度近い熱を出し旅行のためにせっかく確保した4日間の休みを全てベッドの上で過ごした。もう寝られないというほど寝て、うなされるほど熱を出した。そのときずっと流していたのが『水曜どうでしょう』だ。わちゃわちゃする4人の声が携帯から流れてくる。インフルエンザで苦しむ私にとって走馬灯の様であり現実を忘れさせてくれるものだった。
私はよく金縛りを起こす。そして一度金縛りになると最低3回は続けて金縛りになる。ただ、たまに予兆のある金縛りに遭遇する。急に耳の中でボーーという音が大きくなり頭がぐもももももと膨張した感覚になる。このタイミングでベッドから起き上がり何か音を流して横になれば金縛りにはならない。流す音はできるだけ楽しいものが良い。それでいて眠りを妨げない柔らかいものだ。しょっちゅう『水曜どうでしょう』に頼った。『水曜どうでしょう』は何もかもちょうどいい。
全然エッセイの話をしていないので、ここからはエッセイの話をしよう。
このエッセイは24歳の大泉洋から始まる。そして16年後の40歳の大泉洋がコメントを添えている。こういうタイプのエッセイは初めてだ。しかも、巻末には40歳の大泉洋による書き下ろしエッセイが追加されている。さらに文庫版を出すにあたってエッセイが加筆され、何度も終わりの文章があり、それなのにまたエッセイが始まる。いつまで読んでも読み終わらない不思議な体験をした。
24歳の大泉洋が書いたエッセイは「こんなラフな感じで良いんだ」と思えるほどラフで驚く。文章というより大泉洋が喋っている感じだ。そして年齢が上がっていくうちに文章として整えられていきオチもつけられていく。一種の成長記録みたいなものだった。ただ、24歳ごろのエッセイでも「ラフだな~」と思っていたら急にすごくメッセージ性のある内容になっていることもあった。人にはいろんな一面があるものだ。
このエッセイを読んで「痔を患った時、ウォシュレットも水もなくお尻を洗えない場合はミルクティーが一番おすすめ」という使いどころのない知識を得た。痔にはなりたくないしミルクティーで洗いたくない。
大泉洋のエッセイが年を重ねるごとに成長していったように、私のエッセイも成長していけたらいい。いや成長しなくては困る。他のエッセイもいっぱい読んで新書や小説、歌集などジャンル問わずたくさん読む習慣をつけよう。頭の中でぐるぐる考えアウトプットする。大切にしたい。
そしていつか、ご馳走とお酒を用意して『水曜どうでしょう』をひたすら見たい。小林製薬の糸ようじで笑い合いたい。
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