冬が終わって
10年経った今でも、春になると、あの子のことを強く思い出す。
春は嫌いだ。
もちろん春が悪いわけではない、春と私の相性が悪すぎるだけだ。春はただ、そこにいるだけ。そこに私が勝手に存在して、たまたま運悪く嫌な出来事が起こっているだけ。
高校2年生の2月も終わりの頃、放課後の学校で、他クラスの私を見つけるなり彼女は言った。
「わたし、転校することになったよ〜」
きれいな長い黒髪を束ね、一切の乱れも許さないぱっつん前髪を見ながらいつも、自分の髪質と、この邪な気持ちをよく恨んだ。
「………ん?」
うまく流せなかった。
「前から親が離婚するかもって話してたけど、いつの間にか親が離婚してて、お母さんの方についていくことなっちゃった。」
「…引越し先、どこなの?」
「宮崎。お母さんの実家。」
「遠…いね」
「まあ、ね。でも、また遊ぼ」
柔らかく笑っていた。
彼女の様子は、どう見ても軽い。
私の心はこんなに重く冷たく淀んでいるのに、どうして。
私は、うまく笑えているだろうか。
「で、今日どこいく!」
彼女はいつも通り、私を遊びに誘う。
「りなの家しか嫌だ」
「え?」
私は彼女の腕を引っ張る。
「早く行こ」
「どしたの?さき」
こらえていた涙が、一気に溢れてしまった。
「ごめん、ごめん。こんな、泣くはずじゃ」
りなの家に行くのは、違う日になった。
出会ったのは、中学一年生の入学式。
私の学校は、一年生が三階で、二年生が二階、三年生が一階だった。
一年生みんなが一階にある体育館に向かうために階段を降りているとき、後ろから、大きな鈍い落ちる音がした。
みんなが振り向いた。
どうやら女子が階段から転げ落ちて、パンツが丸見えだった。
「大丈夫!?」
“えー!”や、薄い嘲笑が聞こえる中、
私はすぐに駆け寄り表情をうかがう。
誰も、駆け寄らないんだ。
しかし彼女は、へへへと笑いながら、すぐに立ち上がってスカートをはたく。
「間に合った!ここの列、B組だよね!」
恥ずかしいという感情など一切読み取れない、満面の笑みでそう言う。
「そう、だよ」
ここは私立だし、知らない人が多いはずなのに、なんて強いメンタルなんだ。
彼女は私たちのクラスの列に入っていった。
同じクラスなのか。
入学式が終わって、ホームルームがあった。
どうやら彼女は、“たかだ りな”というらしい。
ホームルームが終わると、りなという子は私に駆け寄った。
「さっきはありがとう!さきちゃん!!」
「え。何もしてないよ」
ニコニコしながら私のことを見つめる。
彼女の姿をよく見ると、同い年とは思えないほどのプロポーションだった。
小学生の時に草むらを転げ回って怪我ばかりしていた私とは違って、自分が周りからどう見えているかを把握していて、それに応じるように高みを目指しているような。そんな感じ。
彼女は私の耳に近づいて、周りに聞こえないように
「恥ずかしかったけど、なんかかっこいい子が駆け寄ってきたから嬉しくて安心しちゃった」
もともと人の気を引くような声だなと思ったけれど。
「あ…髪こんなに短いし女の子っぽくないよね」
私は中学生で思い切って、うなじが見えるくらい短く切った。
「ううん。誰よりもかっこいい女の子に見えた」
彼女は極めて真面目な顔で言う。
「…あ。ありがとう…?」
少し、胸が踊っている自分に気付いて、それを隠すために下手な作り笑いをした。
私は、うまく笑えているだろうか。
彼女は終業式の次の日に引っ越して、彼女から長めのメッセージをもらったまま、私は何も送っていない。連絡先は消していない。
終業式の日、ダンボールだらけの彼女の部屋で、好きと伝えた。
ありえない、みたいな表情をしていた。
ムカつく。なんだ、あなたは違ったんだ。
いや、そりゃそうか。それが普通の反応だ。彼女は、この5年間友達として私といただけだ。それをなに、私だけが勝手に好きになっただけ。
でもやっぱりムカつく。
ムカつく、ムカつく。
怒りに任せて押し倒すと、彼女は抵抗しなかった。
いつも柔らかい表情しかしない彼女が、険しい顔をしていた。どうして、なんで、と言わんばかりの表情。
そこから何をするでもなく、しばらく沈黙が続いていた。
「まあ…いいや」
そう零して、私はかばんを取る。
「じゃあ、帰るね」
「あ、家の近くまで」
「大丈夫。ありがとう」
「…わかった。」
玄関で彼女は力なく手を振って、泣き出しそうな表情をしていた。
「じゃあ、また…」
「ばいばい」
顔も見ずそれだけ言って、私は家から出た。
あの日、彼女の部屋の窓から漂った初春のにおいと、生ぬるい陽気、彼女の柔らかな笑顔。通学路、強い風、何かの花のにおいと、鼻のむず痒さ。
全部煩わしくて仕方がない。
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