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09.義母との同居

家を開けることが多いわたしの代わりに、家事も育児もテキパキこなしてくれた義母。その義母が、昨年5月17日に亡くなって、正直なところ心の中にポッカリと穴が開いたような状態です。私にとって、義母の存在は家族のだれよりも大きかったのです。でも、同居した当初は、全然うまくいっていませんでした。


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「性格のきついあなたに、お姑さんとの同居は無理よ!」
「何も、自分から同居を望むことはないのに...」
「ひとつの家に女がふたりいると、絶対に対立するものよ」

親も親戚も、寄ってたかって義母との同居に反対しました。わたしの母も、親戚の叔母たちも、お姑さんと同居して暮らしている者は誰ひとりいないのです。
そういうところを選んで嫁いだということもあるようですし、娘や姪にそんな苦労を背負わせたくないという親切心からか、広島に戻ってくるのは嬉しいけど、義母との同居には皆が難色を示していました。

でも、わたしはそんな身内の意見には一切耳を貸しませんでした。義母は、身寄りも、知り合いもいない土地へ、わたしたちを頼って来てくれて、残りの人生をずっとここで過ごそうと決断してくれたのです。義母のその気持ちに、一生懸命応えたかったし、周囲のそんな否定的な考えや、たくさんいるわたしの親戚から、義母を守ってあげたいという正義感に燃えていました。しかし.....。

「これからは、食事は別にしてね。ひとりで食べたいから..」

それは、義母が大阪から広島へ来た日、引越しの荷物をひととおり片付けて、みんなで夕食を食べ始めようとしたときの義母の第一声だったのです。

そこに、“広島には来たけれど、私は私のやり方でやらせてもらうわよ”という、強い意志、譲れない思いを強く感じた気がしました。

食べ物の好みもはっきりしていて、好き嫌いの激しさには正直困りました。(夫が食べ物の好き嫌いが激しいのは、この母親のせいか_と恨んだこともありました)
嫌いな物があれば、一切手をつけてはくれません。ぶっきらぼうに「嫌いだから残すね」と食べる努力もせずにつき返されました。

そして、暇さえあればこまめに掃除をし、あっちこっち家の中を動き回っては、片付けていました。普段から掃除が苦手な上に、次女を産んでそんなに日がたっていなくて、動くのが辛いわたしにとっては、気が休まるときがありませんでした。

“次は何をされるんだろう。何をいわれるんだろう”と、ビクビクしながら、義母のすることを見ていました。
義母にしてみれば、年子の子供達を抱えていては、家事も行き届かないだろうという親切心からだったと思うのですが、わたしは、放っておいてほしかったのです。

何もかもがかみ合わない苛立ち、言えば口論になってしまいそうで、心の中に不満や不安を全て閉じ込めました。
抑えて溜まったモヤモヤは、必ず出口を求めるものです。それは、決まって子供たちに向かって発せられました。長女を必要以上に叱ったり、甘えてまとわりついてくるのを振り払ったり....。長女はそのたびにおびえて泣いていました。

次女は、そんな私の不安定な精神状態を敏感に察知したのでしょう。私が抱くと必ず火がついたように泣き出しました。母乳で育てたかったのに、飲んでくれないのです。見かねて義母が抱くと、安心したように眠りました。それがまた気に入らなくて、“どうして私が抱いたら、あなたは泣くの?”って次女にまでイライラして接するようになりました。

長女の出産のときに引き続いて、またまたノイローゼ状態です。でも、今度の状態は、前よりも重症でした。親や親戚に「うまくやるから」と言った手前、泣き言や愚痴をこぼせるはずはありません。夫が帰るのを待って、話を聞いてもらおうとすると
「疲れてるんだから・・それに、仲良くやってもらわなきゃ困る」と突っぱねられました。
引っ越してまだ半年もたっていなかったので、近くには、知り合いも友人もいませんでした。とっても辛くて、苦しくて、いつも頭痛、倦怠感に悩まされていました。

#研修講師 #義母との同居  

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