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「主体的に学ぶ」とは

先日、小学校で6年生の授業を担当させていただきました。
授業のテーマは「違いの中でのコミュニケーション」でしたが、
このテーマとは別に、授業に、私が大切している「あるもの」を持って行きました。

それは、私が小学校4年生のときに毎日行っていた自由勉強のノートです。担任の先生から、「何でも好きな勉強をしていいよ!」と言われたことにハマって、毎日せっせと好きなことをノートに書きました。あまりにも楽しすぎて、気がついたらノートは1年で15冊になっていました。

毎日、学校から走って帰ってきて、机に向ってノートを開き、
「今日は何を勉強しよう?」「今日はどんなことを調べよう?」とワクワクしながらノートに書き綴っていました。

楽しすぎて楽しすぎて、暗くなるのも忘れて
「けいこー、ごはんよー」と母が呼んでも、「ちょっと待ってー」と
言って勉強を続けました。
漢字の書き取り、理科や社会の調べもの、授業で行った実験の振り返り、算数の計算、ローマ字で日記を書く…etc

自分のやりたいことで、ページが埋まっていくことが楽しみで仕方ありませんでした。(毎日見てくださる先生も大変だったんじゃないあと思います。)
思えば、これが私の原点ではないかと思います。
小学校1年から6年まで、通知表には漏れなく「落ち着きがない」と
書かれました。それは今も変わっていません。
集団で大人しくして同じことを学ぶのは苦手です。
私のスイッチが入るのは、「自分の好きなようにしていいよ」なのです。
そのスイッチが入ることで私は主体的に取り組むことが身に付いたように思います。

64歳のおばあちゃん世代の私が、12歳のお孫ちゃん世代の子どもたちと、しく交流できる「きっかけ」になれば…。と思って持って行ったノートでもありましたが、これが、すごい反響でした。

授業の間の休憩時間に、「良かったらノート見てください」と告げると
40人の子どもたちが一斉に席を立って、ノートの周りに集まってくれました。

すごいー。
これ、私も勉強した!
こんなことも書いてある!

驚きと喜びと楽しさが混じっているコメントが聞こえてきました。
ノートを介して、私に少しでも親近感を持ってもらえたかな?と嬉しく思いました。

「算数も国語も、社会も、いろんなことが書いてあって、ぼくもやってみようと思いました」

「1年間の勉強記録をみて、おどろきました。むちゅうになるのって大事だと思いました」

「自由にかいてあってすごかったです。例えば、漢字練習や算数のこと、理科のこと、道徳のことです。本当に自分が書きたいことをかいているので、そんなに自由でいいんだとおもいました」

「ぼくも、日記や自由ノートをやってみます」

「1冊に努力と書いてあって、15冊つづけられて、努力が実ったんだと思いました」

「何でもいいって、ホントに何でもいいんだー!とおもいました」

後日、子どもたちから感想文が届きました。感想文には、コミュニケーションのことと同じくらい、ノートを見ての感想が書いてありました。

大人として大切なことを、ああしなさい、こうしなさいと、言葉でだけ助言しても、経験が少ない子どもたちには想像できないことがあります。
「何でもいい」「自由にしていい」「好きにしていい」
という言葉もそうです。
どういうことが、何でもいい、自由にしていい、好きにしていいなのか、
わかりません。

実物を見せて、実感することが大事なのです。

大人も同じだと思います。
大人の場合は、「実物+言葉」でしっかり認識してもらうことです。
職場の上司が部下を指導するときに、両方が揃っている場合は少ないです。
特に、いろいろなことを見て覚え、身につけてきた人にとっては、言葉で理解を促すことは苦手なのかもしれません。

この仕事を通じて、幅広い世代の方と深く学び、気づく場を共有させてもらっていることを心から感謝しています。

そして、このノートを捨てずに残してくれた母に心から感謝しています。

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