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『水の子』 ジャック・ロンドン著 神話についてかく語りき


 ハワイ島で漁をしている老人と若者。老人が海の神話について若者に説くのだが、若者は老人の話に食傷気味だ。物語は、老人がひたすら若者に神話について説こうとするやり取りが展開されていく。
 しかし、若者に饒舌に語る老人も、実は神話の持つ秘密が分からず、酒浸りの日々を送っている。
 老人は若者に次のこと言う。

 「齢を重ねるにつれて、わしはだんだん、外に真理を求めなくなり、己の内に真理を見出すようになってきた。母のもとに帰るとか、母からもう一度生まれて太陽のなかへ出るとかいった思いは、いったいどうやって思いついたのか?お前にはわからんし、わしにもわからん。わかるのはただ、人間の声や印刷された言葉にささやかれることもなく、誰かから促されたりもせずに、思いがわしの内から、海と同じくらい深いわしの内の深みから湧いてきたことだけだ。わしは神ではない。何も作りはしない。ゆえにこの思いもわしが作ったのではない。思いを生んだ父も母も、わしは知らん。それはわしよりずっと前の昔のものであり、それ故真である。人間は真理を作らない。人間は盲目でない限り、真理を見たときにそれを真理と認めるのみだ。わしが思ったこの思いは夢だろうか?」

 そして、老人と若者は、「今ここにいて自分達がしていることは夢の一部何じゃないか?」と夢を見ることについて語り合う。
 以上、老人が若者に語ったことである。

 大地ができるのは火山活動によるものだ、と現代人にとって分かりきったことだろう。しかし、遠い昔の人にとっては神が創造したものとして、それが真実とされていた。先の老人の語りは、老人が幼い頃、代々聞かされてきた伝承に感動し、畏怖したからこそ、自己の倫理観や道徳観を形成したものと言えるし、潜在意識が夢の語りに及んだものとしても考えられてくる。または、生得的観念として老人に備わっているものとして考えられもする。生得的なことであれば、いくら老人が神話(宗教)の秘密を知ろうと努力しても知り得ないのは、理解を超えたものだからである。ユングの言う「集合的無意識」なのか。

 子供の頃に、親から聞かされる絵本の話というのがいい例だ。お天道様が見ているから、悪いことをすればバチが当たる、という子供の頃に読み聞かされた話。多くの人にとって大人になっても無意識に自己を律するものになっていたりする。
 深層意識や生得的に備わっていて気づかないことが、物語を読むことで、何かが心に触れ、自分の内の深みからふと湧き出てくる。そんな老人が体験するようなことが人にはあるのだろう。


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