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『ポール・ヴァーゼンの植物標本』

 フランスの蚤の市。品物もまばらになった机の片隅に寂しげに佇む一つの箱。箱を開けると、美しい押し花と可憐な飾り文字で「Melle Paule Vaesen」と記されている・・・

 古道具屋 アトラス店主が偶然見つけた、ポール・ヴァーゼンの植物標本。日本に持ち帰り、展覧会を開催したのを機にこの著書は発刊された。

 
 押し花を扱うかのようにフィルムに包まれている造本。その半透明なフィルム越しに見える表紙の植物は、淡く優しい光に包まれているようでいて何とも美しい。
 
 著書は、植物標本95点と堀江敏幸による書きおろし「記憶の葉緑素」を収録。

 「ポールヴァーゼンの箱入りの植物標本を目にして思い出したのは、30年近く前の旅の途中のこの濃厚な時間のことだった。」
と語るこの書き下ろしは、旅先で出会った古道具屋(オロバンシュ)の老主人との思い出と、ポールヴァーゼンについての思い、または彼女の植物標本についての思いが二重奏のように綴られていく。
 

つまりポール・ヴァーゼンの標本の採集地の中心を担う空間は、もはや存在しないのだ。こんなふうに採集地が消えていくからこそ、どこで、いつ、どんな状態で採取したのかという記録が重要になる。場所が消滅してしまっても、そこにあった命は、標本として採取した人の記憶とともに生き続ける。標本帳とは草花の残骸を見せるものではなく、ひとつの mementoであり、繊細で生々しい思い出の集成であって、(オロバンシュ)の主人の叔父のコレクションや書き抜き帳が明示していたのも、結局は形のない時間の手触りなのだ。

本書より

 その植物は色褪せず、淡い色彩を保ったまま変わらずにある。ただ変わっていくのは、それを手にする人たちの思いと時間。暗いところから現前する押し花の淡い光は、あたかも遠い記憶を呼び覚ましてくれるようだ。




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