「青天也須喫棒」と瀬戸大也さん
禅語に「青天也須喫棒」(せいてんまたすべからくぼうをきっすべし)があります。
千利休は美しく掃き清められた露地に、わざと落ち葉を2,3枚散らしたそうです。完璧に整えて来客を向かえる手はずの露地であったにもかかわらず、あえて精錬潔癖さを省く行為です。しかし、その散らした落ち葉こそ、露地の清らかさを一層引き出させたそうです。
完全無欠こそ悟りのようであり、悟りに安住する行為こそ、もはや迷いと言われています。禅語ではこうした煩悩や執着心を拭い去った一点の曇りもない境地を「棒で打って粉々にせよ」と乱暴な物の言い方をした句があります。それが、「青天也須喫棒」(せいてんまたすべからくぼうをきっすべし)。
完璧に見えていますが、その完璧こそ欠点にもなりうるとの意味です。
悟りも迷いも表裏一体。誰しもが、完ぺきを求める必要などないのでしょうか。
世間を震撼させている話題が水泳選手の瀬戸大也さん。アスリートとしてメダルを期待されているだけでなく、私生活を含めて、いつの間に世間は「完璧」を求めてしまったのでしょう。
人はだれもが過ちを犯します。
それを見ず知らずの、多くの人々が、そしり、ののしり、あげくに「自己責任」「自業自得」と切り捨てる世の中です。
人はだれもがセカンドチャンスを与えられるべき存在だと信じています。
父として夫としてアスリートとして、きっと大きな糧を掴んだ瀬戸選手を応援します。