だって、あなたと私は「違う」から。
この夏、書いては下書きに溜めての繰り返しだった。
なかなかダークサイドから戻って来られず、
イライラモヤモヤ。
これって更年期?なんて話も出てくるくらいに。笑
色々悩み考えて行き着いた答え。
それがタイトルだ。
だって、あなたと私は「違う」から。
そう。違うのだ。
あなたは私じゃないし、
私はあなたじゃない。
違うのだ。
育ってきた環境も違うし
生きてきた時間も違う。
見てきたもの、食べてきたもの、
感じたこと、聞いてきた音も匂いも違う。
価値観が同じことが「偶然」で
好きな食べ物が一緒なんてもはや奇跡と言ってもいい。
だから何が言いたいのかというと、
「なんか思ってたんとちがう」に
イライラモヤモヤしてもそれは時間の無駄。
「ちがう」は正しく、決して違くない。
自分と違うことは「当たり前」で
誰かと違うことは「こわくない」し
みんなと違っても「はずかしくない」
それと同時に、
「同じ」だって間違いじゃないということも忘れないで。
「同じ」が嬉しかった時は、ハイタッチでもしよう。
「みんな違ってどうでもいい。」
これ、私の座右の銘。次のテストに出ます(嘘)
みんな違ってみんないい。 ってよく聞くけど
みんないいのかは、正直わたしにはわからない。
「それって微妙じゃない?」ってどこかで思う気持ちもあったりする。
だから、その気持ちも否定はしない。
ただ、そんなの「どうでもいい」んじゃない??
私がそれを「良い」と思うかどうかが重要。
誰かがどう思うかは、重要じゃない。
誰かのそれを「良い」と思えない時もある。
もしそれを「がっかり」や「微妙」と思うことがあっても
その誰かのそれを否定する権利は、私をふくめ、誰にもないはずだ。
そんな 誰かとの「違い」を今日も受け流しながら
私は夫が洗って片付けてくれたティファールの鍋を、
今日もそっと、「元の順番」に置き直すのだった。
<本日の隠れサブタイトル>
うちの夫はティファールの収納順が「あべこべ」
=====あとがき======
いやね、すごいんですよ。
ティファールのみならず。
洗い物が溜まってることに気づいたりすると
さらっと洗っておいてくれるんです。
いつも猫が寝ているベッドまわりの掃除機がけもしてくれるし
洗濯が終わったことに気づくと、干しておいてもくれるんです。
ほんっとに優しいし気が利くんです。感謝しきれないほどに。
DA KE DO NE.
洗って片付けてくれた食器の位置は元の場所はおろか、
お皿やお椀のサイズが一切揃ってなくても「おきたいところに置く」し
毛が落ちやすいベッドまわりの掃除機がけをしてくれても、
その目の前にあるシーツに残された猫のゲ○には気付いてくれないし
干された洗濯物の袖や裾は、脱水の威力を物語る形態を崩していない
(要するにしわっしわでギュッとなってる笑)
興味のないことでも
私のために、私に代わってやってくれようとしたその姿勢に
心からの感謝とリスペクトを伝えています。
そして、その、いわゆる、、、二度手間(ゴニョゴニョ)を避けたい時は
できるだけ先回りをして私がやる意識が常にある。
そして結果全部抱えてパンクするんだけども(苦笑)。
そんな夫を見てるから、
我が家に生息している四歳児の
驚異的な視野の狭さは微笑ましいし(イライラするけど)
注意した2秒後に同じことするのも理解するし(ため息)
文字を逆からしか読まないこだわりも
「天才だな」って笑って言っていられる私がいますよ。(遠い目で)
そんな違いを受け入れ、受け流して。
今日もお疲れ様、わたし。
そしてこれを読んでくれた、あなた。
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