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『真っ白』なぜ私たちは藤井 風の音楽にいつも心をぶち抜かれるのか
2月28日(本日)、藤井 風の新曲「真っ白」がデジタルリリースされた。
その旋律を耳にした瞬間、私の心は今回もあっさりと“ぶち抜かれて”しまった。
リラックスした曲調に乗せられて響いてくるのは、「真っ白な心を求めるために手放す」というメッセージ。どうしてこんなにも、彼の音楽はストレートに私の胸を打つのだろうか。
今回の新曲の歌詞を改めて見ると、
真っ白な心に惹かれ 真実をさまよえば
真っ黒なところはぶち抜かれ 真新しい風にまた抱かれた
というフレーズが繰り返し登場する。
ここで登場する、“真っ白”とは、おそらく何も知らない無垢な状態ではなさそうだ。自らの不安や劣等感を手放し、少しでも自由な心へ近づこうとする姿勢を表しているように、私は感じたのだ。
さらに
好きだよ 好きだけど
離れなくちゃ 置いてかなきゃ
という歌詞も象徴的だ。
一見、恋人や大切な誰かとのつながりを置いていくようにも見える歌詞。だが、実は「理想とするあるべき自分の姿」から遠ざけるような執着、あるいは心を曇らせる雑念を手放す必要性を暗示しているのではないだろうか。
藤井 風は以前から、自身の音楽に“ハイヤーセルフ(高次の自己)”という考え方を取り入れていると公言している。そんな彼の信念が、この曲からもひしひしと伝わってくるのは、私だけだろうか?
今回の新曲も然りだが、彼の曲の歌詞は、表面的なところを見ると、恋愛についてテーマにしたものが多いよう感じる方も多いだろう。
たとえば、彼の代表作の一つである、「死ぬのがいいわ」の中でも登場する歌詞に注目してみよう。
私の最後はあなたがいい
あなたとこのままおさらばするより
死ぬのがいいわ 死ぬのがいいわ
三度の飯よりあんたがいいのよ
あんたとこのままおさらばするより
死ぬのがいいわ 死ぬのがいいわ
これも、初見だと恋愛の歌に感じるかもしれないが、「私の最後はあなたがいい」「死ぬのがいいわ」という言葉も、単なる“誰かへの盲目的な愛”ではない。
むしろ、“自分の理想とする在り方”を示す「あなた」という存在と一体化したいがゆえの覚悟にも思えるのだ。
こうして見ると、「あなた」と呼びかけられる対象は、実際には“自分自身の中にある理想像”なのではないかと感じる。
だからこそ、藤井 風の楽曲で繰り返し歌われる「ラブ」は、恋人に向けた愛というより、“自分がありたい自分として人生を謳歌する”という意味の愛であるように映るのだ。
今回の「真っ白」で強調される“手放す"という行為や決意は、そうしたハイヤーセルフの視点からも非常に重要なアクションといえる。
資本主義社会の中では、持つ者と持たざる者の差、あるいは人間関係や仕事上の競争から生まれる優越感や劣等感に苛まれがちである。
自分に足りないもの、相手が持っているもの ― そんなものばかりに目を向ければ、手放すばかりか、もっとほしいと渇望は増えていく一方だ。
あれもこれもと、際限なくかき集め、他人を羨み、時に憎んだり、奪ったりしてしまうのが人間の恐ろしいところ。いつのまにか、理想の自分とはかけ離れた、思いも寄らない姿になってしまっていることもあるのではないだろうか。
私たちは欲望やプライドに縛られるあまり、本来の自分がどんな姿を求めているのかを見失ってしまうことが多い。
そんな社会構造の中で、藤井 風は「真っ白な心」に惹かれる大切さを、優しく、しかし力強く教えてくれているように思う。
真っ白を目指そうとするほど、自分の中にある「真っ黒」な部分が見えてきて、苦しくなることもあるかもしれない。
だが、その“真っ黒”すら受け入れて手放していく先に、あらたな“風”に抱かれる瞬間が訪れる。
―そんな暗示が、この曲には込められているのではないだろうか。
「死ぬのがいいわ」においても、「あなた(理想の自分)」と自分とを隔てているものを乗り越えてまで“完全な愛”を求める姿勢が描かれる。
恋愛の歌に聴こえながらも、実は“ハイヤーセルフ”との対話をし続ける、藤井 風の持つ独自の哲学が、彼の作品には通底していると考えると、歌詞の深みや説得力が一段と増す。
一見すると説教くさくなりそうな内容を、ゆったりとしたメロディに乗せて届けてくれるのが藤井 風の真骨頂だ。
表面的には“ラブソング”でありながら、実際には「なりたい自分」であろうとするための“気づき”を私たちにそっと与えてくれる。
言ってしまえばおそれく藤井 風自身も、日々きっと有りたい自分との乖離に悩み、完全に“真っ白”になりきれているわけではないのだろう。そんな矛盾や苦悩は、時折彼のインタビューから垣間見ることができる。
だからこそ、繰り返しこの決意とも取れるメッセージを彼は歌い続けている。
真っ白であろうとし、常に手放す勇気を曲を通じてアウトプットし続けるからこそ、彼の音楽は多くの人々の魂を揺さぶり続けているのだと思う。
私たちはきっと、そんな藤井 風の“真っ白さ”に共鳴している。
雑念や執着を手放した先に見える景色を、彼の音楽を通してほんの少し覗かせてもらっているのだ。
今日も私は、彼の音楽に心をぶち抜かれ、自分の理想とする自分自身を再確認しつつ、日々の言葉や行動を内省し、反芻する。
最後まで記事を読んでいただき本当にありがとうございます。
今後も自分なりの視点から日々感じたことを心を込めて綴ります。
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