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「日本のシューゲイザーは女性を搾取しているのか」問題の個人的な見解

シューゲイザーという、比較的マイナーな音楽ジャンルに関するnoteが、界隈でちょっと話題になりまして。

しばらくは「へぇ、話題なのか」と思っていたのですが、先日その記事を読んで「?????」となりまして。個人的には「何言ってるかさっぱりわからない」という感想です。

正確に言えば「シューゲイザーという特定の狭い音楽ジャンルを、しかも日本の音楽シーン限定で槍玉にあげることが適当なのか」という、合理的な問題があるといいますか。

他人様の評論のようなものに、真っ向から「それ事実認識とかおかしいですよ」というのも気が引けるのですが、一応そういう違和感と理由を説明します。


音楽ジャンルとしての「シューゲイザー」とは

普通にwikiとか、ネット上の解説とかいろいろあるので、それを読んだ方がためになるし詳しいです。

ちなみにGoogle検索をかけたときに、先頭に出てくるAIの回答は次のとおりです(一部加筆修正)、

「シューゲイザーの代表的なグループには、次のようなものがあります。My Bloody Valentine(通称「マイブラ」)イン、 The Jesus and Mary Chain(通称「ジザメリ」)。
シューゲイザーは、1990年代初頭にイギリスで生まれた音楽ジャンルで、フィードバック・ノイズやディストーションなどのギターサウンド、ミニマルなリフの繰り返し、浮遊感のあるサウンド、囁くようなボーカルなどが特徴です」

Google検索の結果表示(AIのまとめ)を一部加筆修正

ちなみに、おそらく当時、商業的にも成功を収め、「シューゲイザーってこういう音楽」というイメージを確立したグループの一つは「My Bloody Valentine」だと思います。こんな曲です。

前述の説明通りのサウンドですね。まあ、こういうのを「シューゲイザーって呼ぶんだな」と思っていただきます。

で、今後の説明をお読みいただく前提として大事なのは、「彼ら自身は、自分でシューゲイザーというジャンルを作りましたとは(少なくともリアルタイムでは)主張していない」ことです。あくまでも周囲が、けっこう馬鹿にした感じで、「あいつら、ギターのエフェクト操作するのに、ずーっと足元の機械操作してて、下を向いてる(自分の靴を見ている)ぜwww」と言い出したのが語源です。

なので、シューゲイザーというのは、「もともと冷やかしのような呼称」であり、「こんな感じの曲は、なんかふわっとシューゲイザーと呼んどいたらエエんちゃう?」くらいな感じの用語なのですね。

ギターを何本使って、どんなエフェクトをどのくらいかけて、ギター音量に対してボーカル音量はこのくらい以下でなくては、みたいな「シューゲイザー家元制度」はないということを、ちょっと頭に入れておいてください。

記事の主要な問題提起

元の記事は、まあまあ文字数多め(注:わたしに他人様の文字数を言う権利はない)ですし、あれやこれや話題を食い散らかしているので、ポイントを絞ります。

問題提起の内容は概ね2つかなあ

(1)ジャパニーズ・シューゲイザーというガラパゴス化した独自のシーンが形成されている(補足:正確にはアジア圏の話だろうし、「ジャパニーズ・シューゲイザー」という名称をネガティブに使っているのも、筆者自身「界隈の一部」と認めているわけですが)。

(2)ジャパニーズ・シューゲイザーというガラパゴス化した独自のシーンのなかで、女性の消費(や性的搾取のようなこと)が横行している

関連している筆者さんの主張をいくつか抜き出してみます(以下、引用)

(1)ガラパゴス化したジャパニーズ・シューゲイザーについて

日本ではJ-POPにこの特徴を付与して派生した「ジャパニーズシューゲイザー」と呼ばれる特有の形態で消費されており、これが一部では「ガラパゴス文化」と揶揄されている。

本文より

(2)ジャパニーズ・シューゲイザーは女性蔑視・消費(および性的搾取)の温床であることについて

シューゲイザーの日本におけるブームは、単なる音楽的現象にとどまらず、女性のオブジェクト化や男性支配的な文化の縮図として捉えるべきだ。

特に、シューゲイザーというジャンルにおいて、女性ボーカルや女性アーティストを擁護する男性リスナーが少ないため、このような偏った視点が強まっている。女性が音楽の才能や創造性を評価されるのではなく、性的に魅力的であるかどうかが論じられ、彼女たちの音楽は背景に追いやられる状況が続いている。

シューゲイザーというジャンルが日本で特に「ガラパゴス化」しているのは、このような男性リスナーたちが女性アーティストを自らの性的ファンタジーの対象として取り込み、ジャンル自体を歪めているからだ。

X上でシューゲイザーについて語る男性たちの一部は、音楽を自分たちの性的欲望や自己満足の手段としてしか捉えておらず、女性をオブジェクト化する行動を自覚的に行っている。

本文より

主張は主張として、何をもってそう断言しているか読んでみると、大きく分けて次の2点に収斂します。

筆者さんの「根拠」の正体

(1)筆者の主観:「わたしが種々のメディアやSNSなどで見聞きしたことから受ける印象はこうである」ということを「論拠」としています。

(2)いくつかの音楽評論:筆者の意見に近い音楽評論を「ジャパニーズ・シューゲイザー批判」の論拠としています。

例:音楽評論家のジェイムズ・トーマスは「ミュージックシーンは、しばしば男性主導のファンタジーを具現化する場となる」と述べているが、ジャパニーズ・シューゲイザーの日本における「ガラパゴス化」はその典型例だと言える。

本文より

これらを文章として組み合わせて、「結論、ジャパニーズ・シューゲイザーは女性蔑視で女性を性的に搾取している」みたいになっているのですね。

ちょっとあまりに乱暴ですし、「それは論理的にそうはならんよ」と言うことが多いので、これからネチネチと説明を加えます。

「ガラパゴス化したジャパニーズ・シューゲイザー」という視点の無意味さ

個人的に思う点なのですが、日本の文化的なことを取り上げるのに、「こいつらアホじゃないのか?」と思う切り口が2つあるんですね。

1つ目は「日本素晴らしい!日本バンザイ」という「世界に冠たる日本文化」という切り口。JOJOの奇妙な冒険におけるシュトロハイムさんの「わがナチスはァ」っていうのと同じ論調のアレです。日本文化も素晴らしいけど、世界中の多様な文化はそれぞれに素晴らしいよと言ってやりたい。

2つ目は、何かというと「ガラパゴス化」と揶揄するアレ。確かにガラパゴス化してダメになっているやつもたくさんあります。日本の商品の多機能化に関しては「そんなんええから、シンプルで壊れにくいものを、そこそこの値段で出してくれ」とか思います。ただ、「ガラパゴス化」自体をダメだとやるのは、いただけないかあと思っています。

個人的には、今回の論調は後者にあたると思ってます。

筆者さんの論考のおもな3つの問題点

最初の問題点ですが「ジャパニーズ・シューゲイザー」というガラパゴス化された概念が存在するとして、だったら「普遍的なシューゲイザー」って何なのよ、という点です。

わたしは大して音楽を聴きあさってきた人間ではありませんが、それでも「シューゲイザーの代表的なバンド」同士のサウンドでさえ結構違いがあることは知っています。

そもそも、世界中のサウンドの中で、「何がシューゲイザーで、どこから違うのか?」という判定や判断は、誰がするんでしょうか?

筆者さんのいう「ジャパニーズ・シューゲイザー」とやらは、国際的な判定機関の指摘でも受けたのでしょうか?(だいたい「一部で揶揄されている」ってありますが、その一部がヤバい奴らって可能性だってあるわけです)

ギターにエフェクトがたくさんかかっていて、「ちょ、おま、フットペダルの操作で忙しくて、ずっと下見てんじゃねーかwww」が狭義の(かつ本来の意味における)シューゲイザーなのですが、筆者さんは何をもってシューゲイザーとそうでないもの、「普遍的なシューゲイザー」と「ジャパニーズ・シューゲイザー」を分けているのか。

そもそもその区分は本当に正しいのか。

上のバンドさん、日本のシューゲイザーバンドですけど、海外のシューゲイザーバンドと比べて、何がどう足りないというのか。

なんというか「女性の性を商品化させたジャパニーズ・シューゲイザーは、本来のシューゲイザーの正しい発展を妨げている」的なことを書いてらっしゃるのですが、そもそも「あなたのいう本来のシューゲイザーってなに?」だし、「清く正しい発展って何なのよ」なのですね。

そこが曖昧で、はっきりいうと「筆者が自分の言いたいことを都合よく主張するために、バッサリと乱暴に言い切っているだけ」という点が非常に問題かと。

2つ目の問題点ですが「シューゲイザーを思想と捉えるか、技法と捉えるか」という問題です。

例えばロックという大きなジャンルがあります。もともとは「ロックアンドロール」です。ロッキングチェアというゆらゆら椅子がありますけど、あれです。若者が音楽に合わせて。ゆらゆら体を動かして、「まあ下品ね!」みたいなことですね。

いま、世界で「ロック」と言われるサウンドで、初期のロックアンドロール(ロックンロール)の形式を守っているものなんて、逆に少数派です。

しかしロックは二つの側面で、今の音楽シーンに根付き、「まあ、ここらの音楽ってロックだよなあ」と言わしめています。

1つ目は「カウンターカルチャー」という面。思想性ですね。それまでの社会の価値観に疑問を呈する精神性を「ロック音楽の根底の概念」と捉える考えです。この点からすれば、技法はクラシックだが「いやいや、この曲はクラシックじゃなくてロックでしょ」もありうる訳です。

マジな話で言えば「ベートーヴェンはロックでしょ」って、ガチでいう人もいるんですよ。わたしも、わからんでもない派です。

2つ目は「技法」という面。まあ、音楽の全体的なスタイルという感じですね。さっきの例で言うと、技法という観点ではベートヴェンの曲は、少なくとも大半がロックにはならないでしょう。逆に、反抗の精神なんてちっとも入っていない「きみとチュウしたいよぉ!」って曲でも、荒々しいエレキギターのリフと激しいドラムに乗せて歌うと、大半の人は「ロックの曲」とみなすわけです。

いまや「シューゲイザー(的な音楽)」の技法なんて、すでに十分研究されており、アマチュアさんでも再現できちゃうんですよね。それらの音楽に対して「それは本物のシューゲイザーじゃなくて、なんちゃってシューゲイザーだよね」なんて、誰がどういう権限で判定するのかという点も問題な訳です。

すると「本来の清く正しいシューゲイザーを継承していない日本独自のシューゲイザーは、邪道だから認められない」みたいな主張って、そもそも何を根拠にどの立場で言ってるんだよ、となるわけですな。

日本の女性が歌うシューゲイザーバンドを、もひとつ紹介しますね。

ポップ寄りなシューゲイザーサウンドも、こういうどストレートな奴も、全部一緒にシーンを作っていく。その、何が悪いんですかね?

最後は「ジャパニーズほにゃらら」という無意味なディス用語です。

最近は知りませんけど、わたしが20代の頃には、沖縄のヒットチャートと、日本全体のヒットチャートは、完全に別物だった記憶があります、THE BOOMというバンドが「島唄」という沖縄音階の歌を発表し、これが沖縄のチャートでも1位を取ったと思うんですけど、実は大騒ぎになりました。

「本土の人(ヤマトンチュ)の曲がチャートの1位になったよ!」ってことです。

要は、その地域によって心地よい音は違うし、だいたい世界中で「音楽のローカライズ(ローカライゼイション)」って、程度の差はあれ、行われてるんですよってことです。

歌モノはその傾向が顕著になりやすいです。なぜなら言語が違うから。

なので、メロディと言葉の重ね方や響き方で、「しっくりくる」「いいわあ」と感じる感性は、育った環境や言語などの影響を受けて、世界中で差があるよという話です。

今回の筆者さんのようなみなさんって、「フレンチポップ」はオシャレっていうのに、「J-POP」はガラパゴスって批判するイメージがあります。まあ、偏見ですけど。

どっちも音楽のローカライズ(地域に合わせた改変もしくは適応)なんですけどね。

シューゲイザーという様式もしくは音の重ね方が研究され、再解釈され、ロックがそうであったようにさまざまに変容しつつ、ローカライズもされてゆく。

これは音楽が世界中でたどってきた普遍的な変化の姿(新しい技法がテクニックとして消化される過程)であって、あなたがたの主張を彩るための都合のいい現象じゃないですよ、ってことなんです。

筆者さんの文章は、そもそもの前提が、あらゆる面で大きく間違ってるんですね。

ジャパニーズ・シューゲイザー「は」女性蔑視で女性を性的に搾取しているのか?

これは、筆者さんが引用した評論に答えが出てるんですよ。再掲してみますね。

音楽評論家のジェイムズ・トーマスは「ミュージックシーンは、しばしば男性主導のファンタジーを具現化する場となる」と述べている

本文より

実は、筆者さんが論拠としている評論は、「音楽シーン全体がそういう傾向にあるよね」という内容なんです。

筆者さんが引用した評論って、もう少し正確にいうとこういう文脈であるはずです。

(1)あーだこーだいう人はいるけど、まあ、やっぱり世界的には男尊女卑社会だよね(注:わたしも、この点には同意しています)

(2)音楽シーン(とか、メディアの世界全般だと思うのですが)って、マジで「男尊女卑」「女性の性的商品化」っていう野蛮な慣行が温存されてて萎えるよね

(3)そのため「ミュージックシーンは、しばしば男性主導のファンタジーを具現化する場となる」よね

「男性主導のファンタジー」って、たとえば、「男は夢を追って好き放題し、女はそれを応援してじっと待つのがいいよね」とか、「男って、女をねじ伏せるような強い奴の方が魅力的だよね」とか、まあそういう「男にとって都合のいい世界線」ってことだと思います。

もう少し広くみてみると、たとえば(嫌な表現をわざと使いますけど)「美容とか関係のない商品のCMなのに、なんで薄着でカラダのラインにピッタリした服を着用した、胸が大きくて若い女子がニコニコする必要があるの?」っていう問題提起なんですね。

これはかなり昔からある批判で、この文脈で語られているメディアの評論は相当数存在します。

ですけども「ジャパニーズ・シューゲイザーの日本における『ガラパゴス化』はその典型例だと言える」というのは、筆者さんが勝手に付け足した論考であるわけです。

筆者さんによる「論拠」の拡大解釈という問題

まず問題を切り分けなければいけないのは「ミュージックシーンは全般的に、女性の性的な商品化や搾取傾向が強いと思う」という論考と、「ジャパニーズ・シューゲイザーのガラパゴス化」って、基本的にはまったく別モノです。

で、筆者さんは何をもって「ジャパニーズ・シューゲイザーの日本における『ガラパゴス化」はその典型例だと言える」とまで断定しているか読んでいくと、次のような主張に行き当たります。

・特に女性ボーカルが主役であるグループが多いという点において、これは「視覚的な消費」の側面が強い。

・日本のシューゲイザーシーンにおいても、この「男性の視線」が顕著である。女性ボーカルは、ただ音楽的な要素としてではなく……(性的に)消費されている。

・「シューゲイザー専門メディア」や「シューゲイザー専門ライブイベント」が存在しているという点も注目に値する。これらのプラットフォームが、男性主導の視点に基づいて作られており、女性アーティストが自身の創造性を表現する場としてではなく、あくまで消費される対象として提供されている可能性がある

・シューゲイザー専門のライブイベントや、シューゲイザー専門メディアも存在しているが、そこに集まるのはほとんどが男性ファンであり、その音楽の文化的な背景や意義については語られることはほとんどない

根本的に「論拠」の体をなしていないんですね。

これらが論拠になるかどうかは、「ミュージックシーン全体の平均的な傾向と比べて、特異性を示す根拠は示されているか」にかかっています。

個人の感想と論理的な考察を分けるものは何か?

だって、ほら。「アンタの味噌汁しょっぱい!」って言われても、実はその人だけが異様な塩分嫌いかもしれないじゃないですか。

なので「その人の個人的な感想かどうか」を判断するには、「他の人はしょっぱいというか」とか、本当に塩分が多いか測定するとかするわけです。そういう「当たり前の作業を筆者さん、やりましたか?」と言っているわけですね。

結論ですが、そのようなものは皆無です。

もう少し丁寧にいうとこういうことです。

(1)ミュージックシーン全般が男性主導の市場であり、女性の性的な商品化が顕著なマーケットであるという論評がある。おそらく、これは概ね正しい(と考える)。

(2)シューゲイザーというジャンルも「音楽マーケット」の内側に存在する(ここ大事)

(3)よって女性の性的商品化は、音楽シーンにおいては「ほぼ例外なく存在しており、シューゲイザーという分野も例外ではない」と考えられる(ここまでは論考として妥当性がある)

(4)しかし、シューゲイザーというジャンル、とりわけ「ジャパニーズ・シューゲイザー」が特にヤバいと断定するには、日本の音楽シーン全般、音楽シーン内の各ジャンル(ポップス、ロック、メタルなどなど)の階層別のデータとの比較検討が必要であるが、そもそもそのような基礎研究や客観的な証拠はあるのか?

(5)筆者も、そのような比較を明確に行なっておらず、「そう見られる」「その傾向が強い」と言っているだけなので、これは単なる感想以上の意味を持たない。

むしろ、特定の音楽シーンが、あたかも異常な男性の巣窟であるとの偏見を助長するものであり、およそ言論を扱う職業人としての見識やモラル、なにより「事実と感想の切り分け」という記事作成の最低スキルを有していることにさえ疑問がある、と結論せざるを得ない訳です。

いちおう誤解のないように説明(短めに)

もちろん、音楽シーンが過剰に女性のシンボルを強調してないかっていうのは、わたしも同意してます。

批判じゃないなけど、一時期話題になった「乳のせギター(ベース)」動画。まあ、女性の体の構造上そんなん仕方ないよと思う一方で、「明らかに狙ってる」ってのもあります。

要は「性的なアピールができたら、その方が楽に売れちゃうよね」みたいなのって、どうしようもない面もあるけど、やっぱり存在するんですよね。そういうのなしで行けたら、その方がいいなあとは思っているんですけど。

ただ、特定ジャンルのファンがキモいと言われても、それを理由に「だから日本のあのジャンルは」ってディスる根拠にはならんよ、と。

この筆者さんは、正直「自分が興味のない分野のことは知らないんだろうなあ」とも感じるんです。

クラシックの女性演奏家のコンサートにはですね、やばくてキモいやつが意外と大勢いるんですよ。

あるコンサートでは、終演後トイレに行ったら、トイレの個室内で「あっ、お、おう……」と、演者さんの名前を呼びながら「致している」男の喘ぎ声がしておりまして。わかりますよね?

でも、「ジャパニーズ・クラシック」は特異なガラパゴス市場で(実際はそういう傾向は強いんですけど)、女性を商品化しており、ヤバい集団ですよね、とはならない。

女性蔑視や女性の性的な商品化はいいと思わない。だけど、そういう問題提起するのに、「特定ジャンルの形成は『女性蔑視や女性の性的な商品化』が理由だ」なんていう、論理の破綻した根拠のない評論を書く必要はない、ということなのです。

だってシューゲイザーに限らないじゃん。

筆者さん、こうも書いているんです。

社会的に成功していない、一部の未成熟な男性が、音楽というコンテンツを通じて自己実現と疑似恋愛の対象を一括で得ようとしているのではないかという疑念が浮かび上がる

本文より

いわゆる「インセル」とか「弱者男性」と呼ばれる層が、現実社会でうまく女性と対等な関係を築けないので、自己中心的なファンタジーの世界を作り上げている。

それはそう。

だけども、その対象って、メディアに登場する女性たちだったり二次元だったり、まあ色々とあるよね。それがどうして、日本の音楽シーンにおいて「ジャパニーズ・シューゲイザー」だけ、突き抜けて異常であるかのような話になるのか。

しつこいですが「ジャパニーズ・シューゲイザーが典型的な例=他のジャンルより女性の性的な商品化が顕著だ」というのは、そもそも独断と偏見ですよね。だって根拠が示されてないでしょ、と指摘しているわけですよ。

女性ボーカルが多いから女性差別の温床とかって、もう、意味わかんないよ、ママン。

なぜシューゲイザーに女性ボーカルが多いのか:音響特性上のメリットについて

そもそもシューゲイザーってね、ギターが轟音のことが多いでしょ?ギターが轟音の別のジャンルで「メタル」ってあるじゃん?いまでこそ「デスボ」とか、低音メタルも当たり前だけど、昔のハードロックやメタル界隈って(多分今でも)ハイトーンボイス中心だったのね。

なんでかわかりますか?

ギターの音が男性ボーカルの通常の音域と被るからですよ。とくに、今ほど高度な音響編集ができない時代ですので、単純に「ギターより上の音域で歌う」と、ギターに歌が埋もれなかったんですね。

だから今でも、男性のハイトーンって重宝されるでしょ?

絶対とは言えないけども、同じようにギターの轟音の中でも、女性の声なら音域的に「埋もれない」が実現しやすいんですよ。男性がハイトーンを出す場合は、メタルのように喉を閉めて大きな声を出す必要があることが多いですけど、女性はウィスパーボイスで十分行けたりしますからね。

これ、たぶん、普通に音楽やってたら、高校生でも知ってるレベルの知識だと思うんですけど、違うんですかね……。

轟音と囁き。

この矛盾したものを混ぜて不思議な音楽空間を作るには、女性の声の方が(全般的には)適しているんですよ。おそらくシューゲイザーで女性ボーカルが多い理由の一つは、このような「音響特性上の理由」により「そのほうがしっくりくる」ということだと考えられます。

被害者に「オマエが誘ったんだろ?」と主張するオッサンのような構文

結論のあたりで筆者さんは「彼らは、音楽の本質的な価値よりも、女性を消費する快楽を優先しており、シューゲイザーをこのような消費のためのコンテンツに堕落させている」と書いていますね。

そうなんですよ、!これは「そういうアタマのおかしい奴(男性)は社会や文化のあらゆる場所にいる」という以上の意味はないし、奴らには「女性が多い場所に群がる」という習性があるというだけのことなわけです。

結果的に、頭のおかしい奴が群がったら、「頭のおかしなヤツ」ではなくて、演者さんや運営さん(のような、シーンを支えている人)が殴られるって、無茶苦茶じゃありません?

あなたが竹藪を歩いていて蚊に噛まれたとする。しかもたくさん噛まれたとする。

「あなたが蚊を引き寄せるために、わざわざ竹藪を歩いた」と、「別の用事があって竹藪を歩いていたら、人の血を吸う習性がある虫に見つかって刺された」は、別の問題として扱ってねと言っています。わかりますかね?

そして、「あなたが蚊を誘ったか」「蚊があなたを見つけて寄ってきたか」は、ちゃんと証拠に基づいて判断しましょうね、と言っているのです。

「痴漢されたのは、そういう服着て、男の多い時間帯の電車に乗ったから」

これ、間違ってますよね?

でも、筆者さんは「日本のシューゲイザーシーンには、キモい男が多い。これは、そのシーンの演者が女をウリにしてるから」って言ってますよね?

これ、ジェンダー論的に、本当に問題ないんですか?

結びに:女性アーティストを馬鹿にしていることに気づいているのか?

シューゲイザーっぽいサウンドを発信しているのが、個人、アイドル(グループ)、バンド、どの形態であれ、その人たちは何らかの目的と意図があって、その表現手法を選んだと考えられます。

そして、シューゲイザーという手法は、女性ボーカルと相性が良いので、おそらく世界的にも女性ボーカルの割合が多いのではないか思ってもいます。なのに、日本のシーンだけ「女性の過剰な性の商品化」って、ねえ……。

それを、明確な根拠もなく「女性の性的商品化」と結論づけていいのでしょうかね?

筆者さんの文章って、シューゲイザーという表現手法をとっている日本の女子さんたちに向かって、「アナタたちは、音楽シーンを牛耳っているオッサンどもに乗せられて、お色気でやばい男をかき集めてるんだよ!目を覚ましなさい!」って言ってることになりませんかね?

わたしが、筆者さんの文章を読んで一番気持ち悪かったのはそこです。

あなたは、一人の女性として、自分が心惹かれた音楽ジャンルもしくは表現方法で自己表現している女性に、本当に敬意を払っているのでしょうか?

たとえば、筆者さんが否定的に書いている(と、少なくとも感じられる)アイドルグループのシューゲイザーですけど、日本のアイドル系ポップに、めちゃくちゃ上手く収めてます。

シューゲイザー風のサウンドの轟音の中を、ふんわり衣装でダンスする視覚要素を合わせたら「舞台芸術として進化してない?」でいいんじゃないですかね?

たとえば、彼女たちの音楽的な素養や努力や情熱って、「ヤバい奴」が群がったら、全部無かったことになるんですかね?

やばい連中が群がっていることと、彼女たちが自己表現のジャンルや手法にシューゲイザーを選んだこととは、本来無関係であるはずです。

まあ、女子さんに群がってるキモい男性は、常識的な男性から見てもキモいです。でも、それは「シューゲイザーは女子の性を商品化するために形成された異常な音楽シーンだ」という論拠にはならないのです。

回答はないと思うけども

わたしは、あなたに何かを指図する権限はありませんが……

「シューゲイザーというジャンル、とりわけあなたが『ジャパニーズ・シューゲイザー』と呼ぶジャンルが『とりわけ男尊女卑などの傾向が強い』と断定するだけの根拠(日本の音楽シーン全般、音楽シーン内の各ジャンル(ポップス、ロック、メタルなどなど)の階層別のデータとの比較検討に必要な基礎研究や統計資料など)」

の補足(開示)を求めます。

それがなければ議論にもならないからです。あなたが問題提起しようとしている問題、男尊女卑や女性の性の商品化については、社会全体で考えるべきことです。しかし、あなたの今回の考察は間違っている可能性が高いです。

間違っている場合、シューゲイザー的な表現方法でパフォーマンスしている女性たちに対して失礼です。

以上が、わたしの雑文です。いつも、どうして、こんなに長くなるのか💦

散々、音楽やってる人を煽り散らかしといて、さっさと記事を消しやがったよ、ママン。

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