20241020 土を踏む
相変わらず忙しない日々を送っている。
先週の水曜日は、体調を崩している母の顔を見に実家へ帰るついでに、大阪の一心寺と四天王寺へ寄った。
一心寺は、祖父と従兄弟のお兄ちゃんが眠っている。そこへ通っていた、大好きな祖母の魂もあるような気がして、祖母にも拝む。
四天王寺では、古本市の最終日だった。
荷物になるので買うつもりはなかったが、見たら欲しい本があって、あれこれ買ってしまった。
その中に「鉄幹と晶子 詩の革命」という一冊がある。
タイトルを見だだけで買ってしまったのだが、与謝野晶子とその夫であり歌人でもある与謝野鉄幹についての本だろうと思う。
先日まで住んでいた大阪府堺市の街は、与謝野晶子の生家が近くで、彼女が幼少期を過ごしたところ。
住んでいた頃は、それほど興味がなく、忙しさにかまけて与謝野晶子の「みだれ髪」に代表される著作も読まなかったのだが、離れてみて、早くも懐古と同時にもっと興味を持って調べておけばよかったと後悔しだした。
そこにこの本が目に止まった。
奈良に来て、おもう。
土地にはかつてその土を踏んだ誰かがいて、彼らは彼らの視線で世界を見、ものを思った。
やがて彼彼女らは命を終え、彼らの踏んだ土だけが残って、わたしたちを支えている。
そんなかつての土の記憶に興味を持つということ。
かつて生きた彼彼女らの知を学ばせていただくこと。
それらの大切さを、41にしてあらためて気づかせられた。
本は頼りになる。
自分が信じた本は、後々裏切らない。
本は拠り所になる。
迷った時、本が自分の在処を教えてくれる。
読みたい本ばかりあってなかなか進まないけれど、読み続けようと思う。
話は変わるが、金曜日にはその堺のハイツのお向かいさんだった方が「峙(sowa)」へ来てくださった。蔵王堂に用事があったのと、わたしの顔を見たかったとおっしゃってくださった。
かなり時間がかかったようで、雨の中汗をかいていたので、風邪をひかれないか心配になるも、こっそり用意しておいたお饅頭とお茶をお出しした。ところがお向かいさんも、お菓子、コーヒー、ベーグル、手作りのおかずと、たくさんお土産を持ってきてくださって、重いのに気を遣っていただいて大変ありがたいやら申し訳ないやら。
ほんの少しお話しして、遅くなるからとすぐに帰ってしまわれた。少し寂しかったけれど、また会いましょうと約束して、見送った。
雨はやんでいた。
今日も、吉野へ行く。
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