ADHDの苦痛とときめき
こんにちは。脳みそが変なADHDです。
私のこの脳みそにとっては、相性がいい作業と相性が悪い作業があります。
事務作業やルーティンワークといった作業は、本当に苦痛でたまりません。少し手を付けただけで、どっと疲れを感じてしまいます。
その一方、創造力や発想力が必要な作業や、未知のものに触れて構造を分析している時には大きなときめきを感じます。
ときめきと共にある時は、どこまでも遠くに行くことができます。眠気や空腹なんてものは、軽く吹き飛ばしてしまえます。
しかし、一度苦痛を感じてしまうと、途端に疲れやすくなります。エネルギーが湧かないのです。
ときめき
新規のものに触れたり、未知の物の構造を解析したりしている時には、ものすごいときめきを感じます。知的好奇心のようなものが満たされる瞬間に勝るものはありません。このときめきの大きさは、ほとんどの人は理解できないと思います。今まで共有できたのは、周囲のADHD疑いのある人間としか共有することができません。
苦痛
一方、「ひとつひとつ秩序立ててやっていく」ことが要求される作業を前にすると、とてつもない苦痛を感じます。
苦痛といっても、少しくらいならできないこともありません。しかし、それには莫大なエネルギーを消費します。少し手を付けただけですぐにへとへとになってしまいます。やらなくていいのなら、やりたくありません。
思考の発散
私の脳内では、いつも思考が発散しています。
脳にトピックを1つ入力した瞬間に、同時に複数のマジカルバナナが発動し、浮かび上がったそれぞれのトピックに対して新たな連鎖が発生していきます。ネズミ算式に増えていきます。
例えば、「ADHDについて考えるぞ」と思った瞬間、以下のような事柄がぶわっと思い浮かびます
このように、考えが際限なく派生していきます。
あっちゃこっちゃ。たいへんです。
これが、起きている間ずっと続いています。本当に。
休まる暇がありません。
勘弁してほしいです。
ときめきが苦痛に変わるとき
このように、思考がある大きさまで発散しきると、本当に収拾がつかなくなります。こうなると、本当にどうにもならなくなります。なにもできなくなってしまいます。
一度休息をとるか、気分転換をとる必要があります。
しかし、一度発散してしまったトピックに再び向き合う際、どこから手を付ければいいのかわからなくなります。もちろん、やるべきことを分析して、順番に、ひとつひとつToDoリストに落とし込めれば良いのだと思います。しかし、発散しきったトピックは、すごくごちゃごちゃしています。そこに秩序を取り戻すことは極めて難しいのです。あれもこれも散逸している状態がそもそも苦手なので、手の打ちようがありません。
そうして、その作業は中断されたままになってしまいます。再開するには気合が必要になります。とてつもない苦痛を感じます。
ときめきを持って目を輝かせながらやっていたはずの作業が、気づいたら苦痛へと変わってしまうのです。こればかりは自分で制御できないため、大変困っています。
外から見た評価
このような私の脳内は、プラスの観点から見ると「創造力や発想力が豊か」ということになります。確かに他の人が思い浮かばないようなアイデアを思いつくことがよくあります。
しかし、マイナスの視点から見ると、大変です。やらなければいけないことは、なにもできません。こんな脳みその人が、机に向かって事務作業をこなせるわけがありませんし、定期的に成果を出し続けることができるはずがありません。
ものすごくピーキーな脳みそなのです。
苦痛をこなすには
ときめきを感じている時は、どこまででも深く潜ることができます。誰よりも没頭することができます。
しかし、少しでも苦痛を感じた瞬間、まったく息ができなくなってしまうのです。混沌とした情報に溺れてしまいます。これでは、どうにもなりません。
というわけで、苦痛なことをこなすために必要なことについて考えてみます。
気合や根性?
ADHD疑いの人間が病院に行くのをためらう理由に、「怠惰だけの健常者」であると診断される可能性が怖いからというのがあります。しかし今の私にとっては、「怠惰なだけの健常者」と診断される方が何倍もマシなように思います。
ただ怠惰なだけであれば、気合や根性を発動するだけでなんとでもなるのではないでしょうか。
自分で言うのもなんですが、私は人よりも気合や根性を持ち合わせている方だと思います。諦めが悪く、粘り強いと感じています。
これまで、自分がミスをやらかす度に「根性が足りないからだ…」と自分を責め立ててきました。
しかし、いまだに信じられませんが、どうやらADHDの人は、気合や根性では何とかならないようなのです。
今でも自分の気合や根性が足りていないだけなのではないかと感じることがよくあります。診断を免罪符にしていいわけではありません。しかし、どうやら正攻法(気合や根性)でこなせる回数には限りがあるようです。
ジャンキーな達成感?
これまでは、締め切りギリギリに達成することによるジャンキーな達成感に頼ってきました。しかし、これはその日の調子に応じてムラがあります。持続可能かつ再現性のあるものではありません。
ライフハック?
いわゆるライフハック的なものを用いて、やらなければならないことを無意識下のルーティンに落とし込むのは効果的だと感じます。複数の苦痛を一列に並べてしまえば、開始する苦痛を感じる回数は一度で済みます。
世の中にはライフハックがたくさん出回っていて、それらを用いると、多少は改善するように思います。
夢?
もし、自分に、夢があれば。
その夢をかなえる道程がワクワクに満ち溢れているのであれば。
夢をかなえた後の自分の姿を想像して、満足できるのであれば。
もう一度頑張れるんじゃないか。
多少の苦痛は乗り越えられるんじゃないか。
あの頃(受験期)のように。
しかし、今は、自分の孤独と苦しみに向き合うので精いっぱい。
夢を抱いている余裕なんてない。
今は、自己理解だとか受容だとかをしている。
過去の苦しみを見つめなおしたり、自分を理解してくれる友を作ったり、今の自分が出来ることの範囲を増やそうとしている。
しかし、最終的なゴールは夢を持つこと。
夢を持てるようになることが、今の夢だ。
薬物療法?
きっと、脳の情報伝達物質に異常があるんでしょう。
しかし私は変身をあと2回残している。
インチュニブ、そしてコンサータ。
これらを飲み、「苦痛であることもこなせる」状態の再現性をとれれば、だいぶ楽にはなると思う。
現状ストラテラ40mg×2を飲んでいるが、飲み忘れた時の脳は確かに疲れている。
藁にも縋る思いである。こういう態度の人が精神的に薬に依存するんだろう(メタ認知)。
まとめ
まとまっているかわかりませんが、私はときめきを感じている時は非常に楽しくやれる一方で、苦痛を感じた瞬間何もできなくなってしまいます。にもかかわらず、私の意志でときめきと苦痛を切り替えることが非常に難しいです。このことが、私が社会で上手にやっていけない理由のうちの一つだと思います。
苦痛なことでも多少はできるように、気合や根性以外の方法を模索していきます
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?