春分 第十二候 雷乃発声
タイは仏教の概念に即して季節は三つ。寒季、暑季、そして雨季。
昼と夜が同じ長さを迎え、太陽の力がいよいよ増す今は、北アジアが春の盛りを迎えるのに対し、昼の長さそのままに暑季がいよいよ本格化する頃です。
そして、その熱が大地にも空気にも満遍なく行き渡って、まるでパン窯の中にでもいるような心地になりはじめると、その昂まったエネルギーに自ら翻弄され崩れるように、タイ語で「パユッ」と呼ばれる嵐が時折やってくるようになります。
春ではなく、夏の中ではありますが、本当にちょうど「かみなりすなわちこえをはっす」。そして、この嵐で上空が急冷されて、雹が降って農作物に被害が出るため、暑く乾いた中、雨はありがたいけれど、諸手をあげて喜べないところは、日本の春雷に似ているかもしれず、そんなところに意外に七十二候は北タイの季節のうつろいにも似合っているような気がしてしまいます。
そんなそろそろ嵐が来る頃なのに、今年の第十二候の間(3/30~4/3)は、なんとも熱く乾ききって、そのうえ山火事の煙が辛い数日。
パユッが来るという天気予報に雨を期待するものの、郊外の遠雷が聞こえるだけの待ち人来らずの毎日はなんだか切なく、更には仕事場のエアコンが壊れてしまう間の悪さ。
ところが、ふと少し稼働音がうるさいので使わずにクローゼットの隅においやっていた冷風機の存在を思い出して、恐々使ってみると水気を含んだ紙やパチュリの精油に似た匂いがするひんやりした風が吹き出してきます。
なんだか雨の香りと空気の手触りが思い出されます。
しかも乾き切っていた部屋の湿度も少し上がってそれも悪く無い感じ。
中で回っているファンの音は多少うるさいのですが、それを凌駕して、水の香りと湿度の手触りが心地よく思えてしまい、いかに自分が水の気配を渇望していたのか気づいてしまったのでした。
それこそ熱に浮かされながら、水の気配を待つ数日間でした。