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夏至 第二十八候 乃東枯

今日、六月二十一日は夏至です。
昼が一番長い日です。これまでも、日没もどんどん北に近い方へ移りながら、目に見えて遅くなってきています。この日の長さには迫ってくる「夏」の力強さが感じられます。
けれど実は先週くらいから私も可愛い同居人の白いふわふわの毛皮族も、朝、目が覚めるのが少し遅いような、そして遊びにでるために庭へ出る時の、朝が待ちきれない!という風な、これまでのどんどん朝が早くなっていくのに合わせているような勢いもなぜか感じなくなっていました。夏至が来るというのに、どこか肩透かしのような気分とでも言えばいいでしょうか。思い返せば、毎年この時期にはそんな気がします。
どうしてか知ら?と改めて調べてみると、日没は七月十一日までしばらく遅くなりつづけるものの、日の出はといえば、十六日からわずかに遅くなり始めているではありませんか。

このずれは、
・地球の公転軌道が楕円形だということ。
・黄道と天の赤道が23.4度傾いていて、天の赤道に対して動く太陽の速度が一定ではないため。
主にこの二つの理由によって太陽は季節によって動く速度がわずかに違うので、あくまで昼の長さが夏至の日が一番長いものの、日の出日の入りの時間には、こんな差異が生じるのだそうです。
人族はともかくとして、狼の末裔である白いふわふわの自然の移ろいへの感応力に納得でした。

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いずれにせよ、まだしばらく暑い日が続くなか、少しずつ朝が遅くなり、一日の始まりの涼しい時間が長くなるのはありがたく、一日の終わりを薄暮の中で楽しむ時間が増えるのも、人の暮らしのサイクルに叶っているような気がしますし、力強く明るい夏という季節の中に、そこはかとなく郷愁のような心の陰りの部分を喚起するような気配があるのは、こんな、地上の季節よりも一足早い天体の運行によるのかもしれません。

第二十八候の乃東枯「なつかれくさかるる」は、薬になるウツボクサという植物が枯れる頃という意味だそうですが、空の上でそれまでひたすら盛りに向かっていた太陽が、これから勢いを弱めていく。地上にもほんのほんの微かずつ物憂い気配が兆すことを暗示しているではと思えてきます。

思えば、夏は夏が来る前に終わっているのかもしれません。ならば、あの夏休みに感じる永遠や郷愁も得心がいくというものです。

北回帰線の内側にあるタイでは、今、太陽は天頂よりも北側にあるので、影は北側から南側へ伸び、普段は日光が入ることのない北の窓から短い光がさしこみます。
けれど今日からは、太陽は天球の南側へと軌道を戻し始めます。チェンマイでは、七月二十八、二十九日の昼過ぎに太陽は天の一番高いところを通過し、垂直に立つものの影を消し、(この日は、庭に鉛筆などをたてて、その影が消える瞬間をみるのが楽しみです)そして少しずつ高度を下げていくことになります。
さし込む幅はわずかだけれど、真っ白で鋭利なガラスのナイフのような光がやってこなくなれば、北窓のある部屋は緑陰の仄暗さを取り戻し、なにか郷愁が居座る場所にもどりそうです。夏はやはり何かの名残の時間なのでしょうか。

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