体験から得る知識。「反脆弱性」を読みながら−5
今日も自宅待機。昨日病院で点滴を受けたペットのウサギは、調子が良いようで高栄養のミルクでふやかしたラビットフードをおいしそうに食べて久しぶりに足を投げ出して寝ている。先週から体調が良くなってきたと思われることを獣医さんに話したら、知的な印象でいつも中立的に話す彼女は「飼い主さんとたくさん一緒にいられて嬉しくて元気になってきたのでしょう」と答えて私を泣かせた。
こんな状況でもなければ、こんなに長期間・長時間、家にいることもなかったので、何が幸いするかわかったもんじゃない。看病にはうってつけの時間になっている。 もちろん、コロナ禍の状況なんて望んじゃいないけど。
さて、今日もナシーム・ニコラス・タレブ氏の「反脆弱性」。今日は第4部を読みながら。4部のテーマはオプション、つまり選択肢のようだ。オプションを手に入れ、見抜く力が人を反脆くしてくれるという。
面白い部分があった。
「オプションや選択肢に直面するまで、自分自身や自分の本当の好みはわからない。人生の変動性は他人だけでなく自分自身に関する情報をもたらしてくれる」
私は高校生の頃、進学する大学を選ぶ時に非常に悩んだ。何もやりたいことがなかったからだ。当時の私は、大学で学ぶことは将来の職業選択に結びつくと信じていた。小学生の頃から、何よりも好きなのは踊ることだったが、踊ることは私の中では職業の選択肢の中に入っていなかった。というか、やりたい職業なんて高校2年生の私には見つけられなかった。今考えると、当然だけど。
そして私は母の勧めにより、「読書が好きなら本にたくさん触れられる方向に行けば」と言われてと図書館情報学部のある大学に進んだ。そしてすぐに気づいた。
私は「自分の好きな本を好きな時に読むのが好きなだけ」だった。大学に申し訳ないくらい、図書館には興味が持てなかった。
ところがそこで、私は社交ダンスに出会ってしまう。きっかけは、本当に偶然だった。友達が、ナンパされた。そして「ダンスパーティーのためのステップ講習会に誘われたから一緒に来て」と。そして典型的な展開が起こる。
ついて行っただけの私がどハマりしてしまった。
絶対に忘れない。簡単なパーティーダンスのブルースのステップを習い、先輩に踊ってもらった時に「これだ!」と感じてしまった瞬間を。
そしてそのキラメキは今も私の中に居座っている。
全く予想もしていなかった展開になった。図書館司書になるために大学に進んで、社交ダンスに出会ってしまってプロフェッショナルになってしまった。まさに、変動により自分自身を知ることになった。とは言ってもこれがプラスかマイナスかは・・・わからないけど。
著書は知識には2種類あるといっている。一つ目は直接な言葉ではハッキリと表現することはできないけれども、私たちが実際に上手にやってる物事のやり方。もうひとつは一般に言われる知識に近いもので学校に教わり成績をつけられ、体系化できる物事だ。
「私たちは理論を実践するのではない。実践から理論を生み出すのだ。」
社交ダンスでは、世界共通のテキストがある。そこではタイミング・足の向き・つま先から着地するか踵から着地するか・体の面の向きや傾きなど、細かく記されている。このテキストを網羅すれば素晴らしいダンスが踊れるようになる? そんなわけない。
テキストができてからダンスができたわけではない。「素晴らしいダンサーのダンスを分析したら、こんな感じに踊ってた。」というのがテキストのスタートだ。
そしてさらに大切なことは、
「一番大切なことはテキストには載っていない」ということだ。
テキストには足の位置、足の向きなど記されている。でも大切なのは、「何をすることでその位置、向きになるか」である。
私の師匠がいつも教えてくれたこと。「ダンスはアクションではなく、リアクションだ」 つまり、手を上げるから手が挙がるのではなく、胴体が動いて肩甲骨が動いて腕が持ち上げられるから、手が挙がる。
胴体が動くことが、まずアクションだとする。そうしたらリアクションで肩甲骨が動く。肩甲骨が動くアクションによるリアクションで腕が持ち上げられる。リアクションが連なること、「チェーンリアクト」である。これが外から見える身体の動きだ。この動きが身体の各部分で起き、音楽と結びついてダンスになる。
こんなこと、テキストに書けるわけないよね。
テキストは偉大だ。読めば世界中の誰とでも正しくダンスが踊れる。たくさんの情報が書いてある。
ならばテキストに書いていないものは不必要か?
それこそがダンスである。そして、だからこそたくさんのオプションがある。テキストに載っているもの以上の創作的な動きをたくさん作り出すことができる。これも、反脆いということの一例では?
私にとって身近なダンスを例に取ったが、これはきっと何の世界でも同じ。本当に実践的な知識というのは教科書から学ぶことからでは身に付かないのだろう。
でも不思議。多分評価されるのは、体系的にまとめた教科書的な知識なんだよね。こういうものは、きっと脆い。