感情を手なづける。「反脆弱性」を読みながら−4
今日は飼っているウサギを病院に連れて行きました。今年の初めにお腹の中に膿瘍が見つかったのですが、体力的に不安な部分や難しい手術になりそうということがあったので、投薬を続けながら手術をするかどうか悩んでいました。ようやく手術を受けさせる決心がつき、病院に行ったのですが、手術に耐えられる体力ではないとのことで、手術は受けられず、投薬で内臓の負担を減らしながら・・・お医者様は口には出さなかったのですが、おそらく、少しでも苦しくない状態で月に見送ろうという方向になりました。
帰り道の桜は、とても儚く綺麗で、色々なものを忘れたくなりました。
さて、今日は「反脆弱性」第4部を読みながら。またもや難しい部分で、なかなか理解できない。言葉自体はそんなに難しい言葉を選んでいないのでさらっと読んでしまうのだけど、「え?どういうこと?」となって何度か行きつ戻りつしてします。
私が面白いなと思った部分は、もしかしたら本筋からは離れているのかもしれないけど、こんなところ。
「ストア哲学とは感情をなくすことではなく、手なずけることだ。」
これって、Yogaの哲学に似てない? この間勉強したよ。「ヨガとは心の作用の止滅」だって。ヨガ八支則には、ヨガは心がざわつく行いを止める練習、心が静まる考えや行いをする練習、心を整える練習、集中する練習、など、心を鎮めるものとある。
五感(視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚)が働きすぎると心が穏やかにならないので、左右されない平常心をつけること。ヨガを通して体と心を整える。でもそれは、心を穏やかにすることで、自分の内なる本当の声を聞くため。
本来の自分と向き合うことで、心のバランスが取れて穏やかになる。
↓
本来の自分らしく、生き生きと輝く
↓
幸福な人生を送れる!
という素敵な好循環が、つまりはヨガらしい。ポーズを取ることだけが全てではないし、スピリチュアルな世界というわけでもない。
とすると、ヨガって反脆い状態を作り、それによってより強くなるということなのかな。面白い。
フラフラ生きてきて、ようやく今になってフラフラ生きてきたという事に気づいた私は当然人生におけるリスク回避の戦略なんて取っていないけど。あまりにも無防備に無自覚に生きてきてしまった事に少しずつ気づいてきたので、この辺で少し考えてみようかなと思う今日この頃でした。