知り合いが働いている小洒落た飲み屋に酒の1杯でも飲もうかと向かうことにした。気圧によって重くなった扉を開けるとその人は私を見るなり出迎え奥のカウンターに案内した。 店内を見渡すとデートと思しきカップル達が仲睦まじく話していた。どうやら店の中で1人で飲みに来たのは私だけのようであった。席につくとおしぼりとメニューが差し出される。おしぼりからシトラスの香りがした(ペパーミントだったかもしれない)。 食前酒にどうぞと、果実の香りがするビールだったかを勧められる。注文したゴ
私は休みの日に一人でいるときは、もっぱら本を読むか夢遊病患者のように空っぽの頭を携え、何をするというわけでもなくず街を歩きながら時間を費やしている。 社会人の休日というとゴルフをしたりキャンプに行ったりと有意義なものであるということを昔の自分は想い馳せじんでいたが実際のところ酒を煽り本を読み、来る労働のXデーまで身をすくめているだけであった。 この体たらくぶりはいかんと何か始めてみようとするも体が動かなく畢竟本を読む生活に戻りお日様が身を隠すと行きつけのBARに足を
人気のない温泉街を彷徨い歩き酒でも飲みつつタバコをふかしながら本でも読んで人生とはなんなんだろうなと考えられる人と一緒にいたいものだ
人生において必要なものなど何があるだろうか。心から必要としてるものなどあるのだろうか。この世において。 苦役列車という作品がある。主人公は日雇い労働に従事しながら家賃1万の三畳一間のボロアパートに住む。二級品の安酒、たいして味もよくない食堂で1人飯を頬張り、寝るときも布団なんて持ってないから畳にそのまま寝て、ぼろ雑巾にほど近い毛布をかぶり寝る。体たらくなさまで、果たしてこの生活が生活という2文字として呼べるのか。文字通り即していえば生きる活動なのだから生活といっても差
大学生活でやり残したことが一つあった。一カ月ぐらいの間、東京の街に行き日雇い労働をしながらネットカフェで暮らすというもの。家もなくあてのない状況、厭世者であること。 大学一年の時に一冊の本を読んだ。増田明利の「日給6000円の仕事の現場 今日から日雇い労働者になった」。当時の自分は暇があれば電車に乗り駅前の本屋で吟味する生活を送っていた。読むジャンルといえば新書であったりビジネス系の本をメインに読んでおり、たまに味変としてゴシップ系の話を読むといった次第。この本は題名を
若さのその先に何があるって言うんでしょうか
大学生活も終わり春から働き始め早二カ月が経過した。会社の研修自体はありきたりのもので特に目立った真新しさはなかったが同期との関わりが特段楽しかった。大学生活ではあまり活発な方ではなく本を読んでは街中を散歩して自分って何なんでしょうかと日々考えながら生きてきた。当時の自分は自らのことについて考えるのが精一杯だったような気がする。 四月からは多くのことを経験した。何気ない日に同期の友人らと飯を食いに行ったり飲みに行ったり時折麻雀を打ちに行ったり。しょうもない話を聞いて馬鹿み
研修が終わり来週から配属、同期みんなで吸いまくった喫煙所2ヶ月間お世話になりました
昔から嫌な出来事に遭遇すれば、あー面倒くせえなと逃げ出す癖がついていた。喉元過ぎれば熱さを忘れるというように、たとえどんな苦しいことでも時間が経てば全部解決すると思っていた。人間関係のいざこざであったり或る人から好きだと告白された時でも返事をしないでほったらかしにしてきた。 結局のところ23年間生きてきて向き合うべきのことに向き合わず、ただただ時間が過ぎることで多くのことは解決できた。いや、解決できたというよりも解決できたと自分に言い聞かせる自己暗示の類ではないか
君ってさ欲しいものある?そう言われたのは先日の出来事 この前地元に帰省した際に友人と飲みに行った。一軒目に焼肉屋に行き二軒目に飲み屋が集まった横丁を訪れた。カウンターに座り自家製のから揚げやらたこわさを頼み酒が進む進む。美味いなあとか言ってたら小中の幼馴染と偶然会ったり、隣で飲んでいた少しマブい女の人が友人と同じ高校だったりと話が盛り上がった。 やっぱ地元って狭い空間だなあとビールを煽りつつしみじみ思っていた。だいぶ出来上がったころに夫婦で飲みに来た人と話した。その人は
GWは地元に帰った。帰省といっても3月中は大学を卒業して地元にいたのだから帰ってきたなーといった実感は全くない。大学生活の時に味わった帰省の新鮮味みたいなのはもう二度と味わえないのか。 暇だったので小学生の頃からの腐れ縁とも言うべき友人と飲みに行くことにした。街の中心部にある商店街は時代の流れで百貨店の閉鎖、店としてはほとんど機能していなかった。かろうじて飲食店は賑わいを見せていた。この街って意外と人がいたんだな。 その日の2人は焼肉の口だったので焼肉屋の店を探してい
手の指を二本重ね会社の同期に向けてタバコを吸う仕草をする。仕事の小休止の度に僕らは喫煙所へ、のそのそと足を運ぶ。吸うのは2人の時もあれば気づいたら6人で紫煙をくゆらせているなんてこともある。仕事中は煙の匂いが染みつくのが望ましくないと思い電子タバコを吸い始めた。電子の良いところは5分間きっちり吸えることにある。美味さは紙より劣るが、まあ悪くない感じ。他の人たちも元々は紙巻きタバコを吸っていたが皆同じような理由で機械を握りしめて気だるそうに吸っている。 喫煙所で話す内容とい
春の匂いとは一体何でしょうか。それは揚げ物の匂いだと私は考える。この考えに揺らぎはない。だが周りの人に対してこの価値観を共有しようと試みているのだが残念なことに未だ誰一人として共感されたことはない。なぜでしょうか。やはり春の匂いは揚げ物の香りなのだ。 ある女の人は草や花の匂いだと言っていた。桜の花。ある男は太陽の匂いだと言っていた。日の当たった洗い立てのシーツの匂い。悪くない。気持ちはわかる。冬が明け日も当たるようになり草花は芽を出し新たな門出を迎える。新しい時間が流
人がいる、恋をして生活を営む。酒場で酒を飲み愚痴をこぼす、煙草を吸う。どこの街に行っても変わらない。同じことの繰り返し。旅は良い。そんなこと全て忘れて新たな気持ちにさせてくれる
兵庫県にある芦屋川、風の歌を聴けのモデルとされる場所。本を読んだ時に持ったイメージと全く同じだった。景色を眺めていたらビールが飲みたくなった。近くにあった古い酒屋で缶ビールを買った。テトラポットに座って飲みつつ、もう一度眺める。人生ってなんてことの無い時間も必要な気がした
乗り慣れた地下鉄に揺られ駅に着いた。改札を出るところで白髪の歳を召された紳士が立っていた。右手には銀色の保冷バックをぶら下げ左手には万彩な花束を持っている。祝い事の帰りだろうか。おじさんは優しい目をしていた。見つめる先には娘らしき大人の女性と孫たちが。おじさんはじっとその歩いている姿を見つめている。時折女性と孫は振り返り手を振る。おじさんは笑顔で手を振る。女性はまた歩き出す。見つめるおじさん。また振り返る。おじさん大きく手を振る。女性たちは去っていった。 この一連の流れを