見出し画像

22歳になる、嫌でも

もうすぐ私の誕生日がやってきて22歳になる訳だけど、嬉しくは無い。明日は誕生日だからある程度の贅沢を許されている。それがちょっぴり嬉しいくらいで、歳をとることは全く嬉しくない。

先日行ったフェスで、ブランデー戦記というバンドが出ていた。彼女らは年齢非公開なのだが、おそらく私と同じか、1つ下だと言われている。私自身、その日まで彼女らの存在を知らなかったのだけど、彼女らから放たれるものは凄まじく、私はとても悔しかった。私と同じくらいの歳の人が、ステージの上であんな目をできるんだ、と思った。

私はこれまで憧れとしているものを将来自分がなんとなく通るだろうと思っている節があった。でもここ数年でそうでは無いことに気づいた。私はずっと私の欲望を人に任せていた。私がなりたいものに、誰かがなってくれて、それに自己投影することでそれは自分であると思おうとした、私が夢を叶えたのだと思おうとした。

このことに気づいてから私は焦っている。私がなりたいものになるためには今からじゃ遅い。年齢は関係ないとよく世間の人は言うけれど、いや関係ある。浪人も留年もした自分だからわかる。自意識過剰なのかもしれないけど、何となく自分より年下の人に混ざって活動するのはかなり気が引ける。もちろん、私がなりたいものには年齢の縛りは無い。でもね、私は今、頑張らないともう一生諦めてしまうと思う。自己満足の自己投影をしていることに気づかなかったふりをして、私の人生を私は生きず、私の人生を他人に委ねてしまう。

将来結婚して、子供が出来て、子供を育てるために十分なお金を稼ぐ。それはとても素晴らしいことではあるんだけど、今はそれが少し怖い。「親」という役割を与えられ、それを遂行するために自分を殺しているように見えてしまう。これは一例でしかないけれど、このままだと、私は様々な役割を押し付けられ、自分がどんどん消えてしまう。もしくは消えていくことに耐えきれず、非行に走ってしまう気がする。だからこそ、今、正常に役割を壊せるうちに壊しておきたいのだ、そして、創造したいのだ、私が望む役割、使命と言い換えてもいいような大それたものを私自身に押し付けることによって変わりたい。
しかし現実は甘くなく、私には私がなりたいものに対して使えるカードが少ない。今からカードを育てて間に合うんだろうかと思いながらも、育てようとしている。

そんなことを考えていた最近であったが、私はまた歳をとる。おそらく周りの人間が思春期に乗り越えたであろう問題にしっかり向き合いながらまた歳をとる。1年後もこの問題について考えていないといいなと思う。ただ我武者羅に自分の役割を破壊していてもいいし、破壊し終わって、創造していてもいいし、あるいは、何も出来ずに諦めて、私に与えられる役割をこなすロボットになっていてもいい。私はそれも向いているとは思うし。ただ今みたいに悩んでいて欲しくない。とにかく真っ直ぐに何かをしていて欲しい。人生の軸を持っていて欲しい。そしてそれをしっかり離さず一生やり遂げて行けると思えていて欲しい。

これらを実現するため、22歳はとにかく行動の多い年になって欲しい。私の最近のキーワードは「試行回数」としているので、じゃんじゃん試行回数を稼いでがんばるぞ!!!!!!!
でも頑張りすぎず、自分の体や心に余裕を持てるようにもなろう。突然体が動かなくなるから、それだけは気をつけよう。わ〜たくさん面白いことやってたくさん面白い人と出会って、たくさん感情を拾うぞ!余すことなく、自分の人生をやるんだ!!!

おら!!!!頑張るぞ!!!!おら!!!!

具体的な目標も一応書いとくか
バンド組む、YouTube月1本は動画出す、noteの更新を続ける(雑にならないように)、サービス精神を持って人と接する

頑張ります。
20240727
21歳の自分でした。最後は希望がいっぱいでよかったよ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?