社会主義っぽい資本主義
少しだけ明確にお話ができるようになった息子。昨日はお風呂で
「今日は何があったー?」
と尋ねると、
「おんがくー!!」
と嬉しそうにかつ明瞭な発音で返してくれた。
これはあの“音楽”に違いない!嬉しくて
「音楽したのー!?」
と返すと
「みみ!ふたつ!」といいながら手のひらを見せてくれたり、両掌をパンパンと合わせるそぶりを見せてくれた。
…ごめん、わからんわ。
何度も繰り返してくれるので
もしかして
「カスタネット!?」と尋ねたが息子は無反応で引き続きアピールタイム。
妻に連絡帳で先生に確認してもらうことにした。
まだまだわからないこと多いけど
少しずつ成長している我が子に負けじと成長しようと思う父なのでした。
さて本題。
今日は日本は資本主義社会っていうけど、社会主義っぽい側面もあるよねって話。
まず大前提として
日本は資本主義社会な事に異論はない。
自由に経済活動ができ、経済が中心となって生活から政策まで決定していっている。
敗戦国である日本を高度経済成長させ立て直し、世界でも名だたる国にしてきたその国民性は高く評価すべきだし、その後に産まれた国民として感謝しかない。
しかし、本当に国全体が資本主義社会だったのだろうか?
経済成長の立役者はもちろん時代のリーダーシップを担う政治家や起業家たちだろうが、その実、末端で働き続ける大多数の国民こそが真の立役者じゃないかってふと考えた。
そしてその末端で働き続ける大多数の国民は資本主義社会を生きていたのだろうか?
年功序列
終身雇用
社会保障
これらは主に
末端で働き続ける大多数の国民のために作られた制度だと言ってよいと思う。
素晴らしい制度だ。
頑張ってくれた国民に国が最大限の保障をしてくれる制度だ。
だが反面、これら制度のせいで国民が失っていったものがある。
それは、
自分で人生を考える力
実際に高度経済成長期を生きていないから、見聞きした話などで推測する域を出ないけれど、当時は
男性は仕事にフルコミット
女性は家事育児にフルコミット
そんな人が多かったのではないかと感じる。
仕事、家事、育児
そこで冒頭に戻り考える。
資本主義の中心は?
経済だ。
この経済を国や組織に任せてしまい
置き去りにしてしまっていたのではないだろうか。
資本主義における基盤は経済なのに
その基盤こそが資本主義社会における人生なのに。
唯一経済について家庭で考えられていたことは
貯金
ではないだろうか。
貯金すればお金は増えるという時代。
バブル最盛期では年利約5%という時代。
この感覚含め
経済の大半を国、組織、貯金に委ねることが善しと今も神話のように疑わない人たちが一定数いて、それを子孫の代に伝えようとしている。
しかし、時代はもう違ってて
年功序列は崩れつつあり
終身雇用は崩れていて
社会保障に関しては崩れているのに無理矢理回している状態
貯金はよくて年利約0.3%
今になって振り返って気づくことなのかもしれないけれど、多くの人が公平に暮らせているが自分で人生を考える力を失うということは、結局資本主義社会を生きていなかったのではないだろうか。
そんな社会主義っぽい資本主義を生きてきていたツケが今やってきている。このツケは大多数の国民のせいだけではない。当時の政治家や起業家などこの国を動かしていた人たちもだ。
今だからこそ言われる
持続可能性
ここへの目付けが甘かったと個人的には思っている。
しかし、当時の人たちからすれば立て直すことにフルコミットしていたのであろうからこのツケを先人の罪というにはあまりにも失礼だとは思っている。
だから僕は先人に罪を問うことやそんな投げかけをするつもりはない。
ただ、過去と現代の違いは世代問わず知っておくべきだと思う。
そして現代社会をどう生きるか
それぞれが人生について考え行動すべきだと思っている。
まさに
君たちはどう生きるか
そう、全てはこの見てもない映画のタイトルを
書きたいがためだけの伏線でした。
おわり。