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広隆寺へ

広隆寺は京都の太秦にある。

達筆
この方の足

素晴らしい阿吽像。この力強さ、足の指にも表現されている。トップの写真がそれ。


とてもしずか

京都駅の中心部はおそらく他の国からの観光客で溢れていると思う。新幹線も京都駅でもそうだったし、乗り換えを確認するために寄ったインフォメーションでは、英語と中国語の資料を手にした日本語が流暢なスタッフが応対してくれた。JR嵯峨野線から降りてくるのも、他国の人々だ。ほとんどが中国韓国、わずかに欧米。前の席に座ろうとした欧米系のカップルのリュックにはピカチュウが付いていて、かなり正しいイントネーションで「この席、向きを変えていいですか?」と聞かれた。感動。花園駅で降りる人はなく、行き先は広隆寺でも映画村でもないらしい。きっと嵯峨嵐山まで行くのだろう。

推古天皇11年(603年)の建立。秦河勝が聖徳太子から仏像を賜り、それを御本尊として建立した寺と言われている。一般的には広隆寺だが、蜂岡寺、秦公寺(はたのきみでら)、太秦寺と呼ばれていたとのこと。火災で一度消失して久安6年(1150年)に再建された。これについては、色々な説があるらしい。

上宮王院太子殿
入母屋造
屋根のカーブも窓の形も美しい


床はかなり減りがある

資料を見ると、この太子殿は享保15年(1730年)に再建。内部には、聖徳太子像が祀られているのだけれど、保護の都合だろうか、暗くて見えない。天井から下がる金色の飾りが見えるくらい。内部の写真は撮影禁止だが、撮れたとしても失敗しただろう。毎年11月22日の聖徳太子御火焚祭のときには特別開扉されるとのこと。お近くの方はぜひ!

講堂には国宝の阿弥陀如来坐像、重文の虚空菩薩坐像と地蔵菩薩坐像が祀られているそう。開いていなかったのは残念だが、お目当ては新霊宝殿にある。弥勒菩薩。あの有名な、歴史の教科書にも載っていた弥勒菩薩半跏思惟像だ。国宝第一号というのは初めて知った。この像も写真は撮れない。でも、その方が断然いい。

新霊宝殿には、とても美しい像が多数置かれていた。時間が止まったような、静かな場所、その中央にあの弥勒像があるのだ。皆静かに鑑賞していた。一部の人々は、いつも自宅でしているように祈っているかに見えた。いつも思い描く像が、目の前にあるのだ。自分もこの目で見れたことに感謝し、この場所で感謝と共に目を瞑った。祈るというより、話しかけるようにして。

弥勒菩薩とは、お釈迦さまに代わってすべての悩みや苦しみをお救いくださり、正しい道へとお導きくださる慈悲の仏さま、とのこと。

この像を左側から、正面から、右側から、と向きを変えて眺めてみる。少しづつお顔の表情が変わっているようにも見えるが、静かな気を纏っているのは同じだった。

入滅から56億7000万年後に現れるという。一体それはいつなのか。この数字は実際の年数を表しているわけではないだろうから。それを待たずに悟りをひらけば、これから荒波が続いても心静かに過ごせるようになるのかもしれない。

ぜひ一度、お近くの方は一度と言わず何度でも、広隆寺へ。新霊宝殿のあの空気を体験してほしいと思う。このほか、広隆寺内にあったといわれる大酒神社と、その近くの木嶋坐天照御霊神社にも行った。小さな神社だけれど、こちらもぜひお参りされてください。

木嶋坐天照御霊神社


大酒神社

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