北九州監禁殺人事件のWikiで危うく吐きかけた
悪者をかけるようになる為に『悪』に触れよう
その為に昔起こった事件をみてみよう
そんな軽い気持ちだった
怖いんだろなと思いつつも、どこか好奇心がブレンドされた
そんな不謹慎な気持ちでネットを漁った
そんな自分にバチが当たった
当然の報いというべきか、
恐ろしい事件に遭遇した。
それが、『北九州監禁殺人事件』である
至極有名な事件らしく、かなり序盤で検索にヒットした
詳しくはWikipediaがあるのでそちらを見て欲しいのだが、
断じて軽い気持ちで見てはいけない
能天気な人生を歩んでいた自分は、
記事を読む最中に沸き起こる、はじめての感情に堪えきれず
あと一歩で吐くまでに追い込まれた
恐怖、怯え、怒り、悲しみ
胸糞の悪さ、救いのなさ、後味の悪さ
そして一貫した残酷的合理性
一人の男の賢く残酷で無邪気な狂気が
ある一族を狂わせ、殺し合せ、
最後には滅した。
ことの始まりから、
閉塞ながらも濃密な人間ドラマが
克明に記載されていた
『人を傷付けてはいけない、尊厳を踏み躙ってはいけない』
そんな当然の倫理など、
元からなかったかのように、
まるで別世界の出来事のように、
目を疑う凄惨な内容が冷静に粛々と記載されていた
それらを、読み解き、紐解き、
自分の中で解釈し、自分の言葉にする
それが自分が物語で悪を描く際に必要な鍛錬だと思った
無理だった。
北九州監禁殺人事件を自分の中で一度濾過する作業
とてもじゃないが無理だった
その邪悪さを少しでも自分の一部にしようとしただけで
胃酸がこみあげてしまったのだ
この出来事を通じて、悟ったことは
自分には悪は書けないのでは、という点だ
真の悪を描くということが、
心の中に北九州監禁殺人事件を宿すということだとしたら
当然のように、心の引き出しにしまい
アイデアを出すときに手に取って眺める
そんなこと、
自分には出来ない
それに堪えうる心の強さが無い
出来なかった…。
みんな本当にどうしているのだろう
どうやって悪を描くのだろう
こんな病のような邪悪を一度心に吸収しているのだろうか
それを受け入れて、新たな悪を想像し創造するのだろうか
とんでもないところで、つまづいてしまった
誰か教えてほしい
みんなどうやって悪を描いているのか