澤田隆治さんの個人的な記憶 そのいち
曖昧になっていく記憶をたよりに極私的な経験談を書いてます。でも、気分はヘロドトス。
少し前に、若い人のブログを読んでいたら(アイドル関係ね)驚いた。
「あたり前田のクラッカー」なんてフレーズが書いたあるのだ。
あんたの親も生まれてない時代のギャグだろ!
自分が観ていたのも子供の頃だったし。誰かがテレビで言っていたのかしら?
で、このギャグが生まれたのが「てなもんや三度笠」というコメディドラマ。
藤田まこと、白木みのる、財津一郎をスターにした。
そのディレクターが澤田隆治さんだ。
舞台中継の生放送なのに戦闘シーンでボカスカ爆弾を破裂させる演出をしたくらいの豪快な、伝説のディレクターだった。
いんやあ、よく観ていました。その後の「スチャラカ社員」なんかは日曜、よく裏隣りにある「初音」というラーメン屋から出前をとっていて、そのラーメンの味と番組の画が60年経った今でも思い出されるのだよ。
土間の脇の窓から「中華そばよっつちょうだいー!」なんて言うと「はいよー!」ってなかんじで返事がある。10分後くらいに少し脚を引きずってあんちゃんがラーメンを運んでくる。オフクロがそれに海苔を2枚のっけてくれて胡椒をひと振り。
「いただきまーす!」
テレビでダイマル・ラケットさんが「知らんかっとんてん!」で笑いをとっている。
懐かしい!純子さーん!がキレイだったねえ。
「花王名人劇場」でマンザイブームを牽引したのも澤田さんの功績なんだろうなあ。
噂では、つまらないネタを1〜2フレーム単位で細かく編集して「間」を操作して面白いものに改造したり、客の笑い声のSEは1〜100人まで分類したものを持っていてそれを細かく映像に付け足してウケをとったネタにしてみたり。
「お笑い番組の天皇」なんて異名があったとかなかったとか。
澤田さんといえば、吉本ベッタリみたいなイメージがりあったが、不思議とシティボーイズをかってくれていた。
先代人力舎社長玉川さんとも仲良くしていたな。
「花王名人劇場」にも何回か呼んでもらった。
ある時番組のオファーをいただいた。
フジ「笑っていいとも!」に対抗する番組を作るので大竹さんにレギュラーになってほしいという話だった。
タイトルは「おじゃまします」。タイトルにはあたまに「コント山口君と竹田君の」とついていた。
つまりコント山口君と竹田君の冠番組だった。当時大人気を誇った2人をメインにして「いいとも!」に対抗しようとしたのだった。月〜金の帯番組。
出演は他に人気のあった堀江しのぶ、ジャニーズが売り出しをかけた少年忍者、かつての映画スター・高田浩吉、そして大竹まこと。時々きたろうと斉木しげる。
「新宿コメディシアター」からの公開生中継だった。「コメディシアター」は元をたどれは「ムーランルージュ」からの流れで作られた劇場だったらしい。支配人の唐木さん(?うろ覚え)は「ムーラン」を復活させたいみたいなことを言っていたような記憶がある。「新宿ムーランルージュ」についてはいろいろなところに書かれているので割愛。伊東四朗さんが若い頃通っていた所。戦前から戦後にかけてたくさんの役者や芸人さんがうまれてきた。森繁久弥、三木のり平とかね。
この劇場。改装前はストリップ専門の「新宿ミュージック劇場」だった。「コメディシアター」がなくなった後は男性同性愛専門映画館になっていたはず。
生放送に対応できるように凄いお金をかけてブースまで作っていたし、冒頭に
「打倒!いいともー!」なんてかけ声をかけてから番組を始めていたのだが、これが全然視聴率が上がらなく、「打倒」前にズッコケていた。殴ろうとしたら足を滑らせちゃったイメージ。
いろんなことを思い出すな。
毎日放送後に反省会と会議。テコ入れにまたテコ入れ。みんなでアイデアを出し合っていた。大竹発案で宮沢章夫さんを呼んできて、テレビ東京の番組でやって評判の良かった「100人ズッコケ」なんて企画もやった。
コーナーのあたまにかける曲を作ろうってな流れになって、布施えりさんに歌わせようということになった。なにしろ先輩マネージャーの相沢さんは音楽畑出身。テンション上がっていた。すぐに曲を発注。方南町にあったスタジオで徹夜でレコーディング。
強引な流れですな。徹夜に付き合うのも大変だったなあ。布施えりさんはもっと大変だったろうけど。
ふと見るとスタジオに相沢さんの姿が見えない。どこ行ったのかと思ったら下の階のロビーでテレビゲームしてやがった。「俺、昨日も寝てねえんだよなあ。」
この番組で、大竹さんもかなり頑張っていた。インパクトあることやって印象残そうとして往年の映画スタア高田浩吉さんに大竹さんが強いツッコミ入れた時には映画界の大御所俳優たちが、「あの大竹ってやつぁ何もんだぁー!シメたる!」と色めきたったとのこと。高田さん自身は全然気にもしていなかったんだけど。
そしてだんだんと澤田さんの顔が怖くなっていく。もともと怖い顔がさらに怖くなる。
何しろどうやっても数字が上がらない。
ヒット番組ばかり作ってきた方ですよ。プライドが許さないんだろうなあと推察。
結局1ヶ月半で番組は打ち切られました。布施えりさんの曲「OrangeDaybreak」も日の目を見ることができなかった。
当時飛ぶ鳥も笑う勢いだった「山口君と竹田君」もこれは悔しかったろうなあ。
後番組は「新伍のお待ちどおさま」。山城新伍さんがメインで、レギュラーも冨士真奈美さんや岡江久美子さん、五月みどりさん等、「いいとも!」が若者狙いならこっちはアダルト狙いやでぇ、といった出演者。
他にもジャイアント馬場やら横山やすしやら桂ざこばやら、加齢臭、いやクセの強いお方ばかり。
こっちにも大竹まことさんはレギュラーで呼ばれた。
が、また笑いを取ろうとして番組開始早々寝たフリをしてみた。いわゆるツッコミ待ち。
これが誰もツッコんでくれない。
結局番組終了まで寝たフリをすることになった。ありえないでしょ。
この後の処理をどうしたか自分は知らないが、澤田さんはたいして怒ってなかったとのことだ。
こちらの番組の方はやや長く続いたし数字も徐々に上がって行ったが、「いいとも!」には結局追いつけないまま終了した。
澤田さんとはその後何回か仕事をしたし、何かお使いで神楽坂の東阪企画まで会いに行くことがあった。その時は澤田さん、全然怖い顔してなかったなあ。
2002年、「横浜にぎわい座」がオープンする。暫くして澤田さんからお呼びがかかった。
つづく。
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