教育の間違い
母体とは、実に素晴らしいものである。
人間誰もが、それこそ、釈迦もキリストも、いかなる聖人君子も、現在の内閣総理大臣も、
学校の先生も、自分自身の父親も母親も、すべて、この、母体、女の体から出生してきたのである。
それは人間だけではなく、世の万物。自然界に生息する生命のあるものすべてがそうである。
だから母体とは、実に素晴らしく創られているものである。
そのような肉体を持っている雌。女とは、姿 形ができてからそうあったのか。その形ができる前に決まっていたのか。実に不思議なものであるが、その女。女性が、どこまで自分のことについて知っているのか。妊娠、分娩と、地球上の後継者をつくり出している女。母体。人も、動物も、植物も、
そうした決まりの通りに、つくり、生活している。
この自然界に生かされている者のすべて、その決まりの通りに流れ、行動しているから、
人も産まれ、草木、樹木も、芽を出し、育み、葉を生い茂らせ、花を咲かせ、実をつけている。
たとえば、一坪。畳二枚ほどの場所へ泥を盛り、その土の中へ、茄子でもトマトでも、キュウリ、カボチャ…。そうした色々の野菜を作り、同じように陽をあて、同じように肥料を与えても、
茄子の枝には茄子がなる。トマトの枝にはトマトがなる。キュウリの枝にはキュウリがなる。
同じ日射で、同じ肥料で、同じ泥で、根も、葉も、茎も、
その緑が同じように雨に打たれる場所であっても、そこには、どうしても、
茄子の枝に赤いトマトは生らない。トマトの木にキュウリは生らない。
これは、人間とて変わりない。
男は男として産まれ、女は女として、産まれる以前から既に女として創られている。
それを現代の学校教育はすべて、男女を同じように教育してしまったのである。
それがそもそもの間違いである。
学者といわれる人、教育者といわれる人、医者といわれる人も
人を創ることはできないのである。
たとえば、人間の頭で作られた百円ライターにしても、すべて、設計図があって、
規格も、構造も、決められた通りに作るから、それは商品として役立っているのである。
しかし、人間がそのように決めた作り方も、もし一つ外れてしまえば
商品として役に立たない物になってしまう。ライターの作り方。そこから一つ外れても、
そのライターは火が出ないし、点かなくなる。
人間が作る物。道具は、すべてがそのようにある。
ところが、人間だけは、そういった決められた方法が、どこにもない。
それはまた、過去、何千万巻と書かれた経文の中にも、
どんなに素晴らしい学者によって書かれた哲学書の中にも、
医学の中にも、『人間の設計図』というものがない。
人の体とは、何で出来ているのか、どういう仕組みになって動いているのか、
人は、人でありながら人の体については解らないし、知り得ていない。
医学という学問の上でも、人の体の仕組みとか、自然界と臓器の関連については、
まったく解っていないから、人の体や心の苦しみを部分的にしか考えられない。
人間は、人間について解っているのか。
どうして人間が出来たかについては、何ひとつ解っていないのに、
人は色々の学説をつくり、人の自由を束縛し、実に勝手なものである。
人や他人を・・・と言う前に、自分が何なのかがよく解っていない。
世の中には、生みの親として数え切れないほどの親がいるが、
自分の産んだ子供について解っている親は、
一人もいないのである。それは、親だけでもない。
本人もそうであるし、医学という学問でも解らない。
人間の姿形をして世の中に出て来てから人間を見て、
長い間、地球上に生活してきた上での色々の教育や思想、知識とか統計的な学問によって、
自分自身はおろか、他人をも雁字搦めに縛って生きているのが人間である。
今こうして自分の手足があり、指も関節も自由に動かすことができることも、できないことも、
鼻の穴で空気を吸うことも、匂いがわかることも、また、顔にある二つの目が見えて、
耳が聞こえて、口を動かすことで誰かとお話できたり、何か目の前にある食べ物を見て、
食べたいと思うことも、それをその手で掴んで口に運び入れることも、
教育によって造られた者でもない。学校や社会、親の躾や先生の教えには関係なく、
それは、人間が一人、この世に誕生する以前から決められていたことである。
だが、
人間は、その母体を今日ここまで、ことごとく破壊してしまった。
それが教育であり、学問の知識、その指導者である。
生きるために必要以上の知識、必要以上の経済。それがすべて、人間を駄目にしてしまったのである。
そして今まだ、それを続けようとしているのが、教育の世界である。
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人間が健康になる仕組み
人は何故、病氣になるのか 人はどうしたら健康になれるのか 人はなぜ太るのか、痩せるのか ここには当店の導引の創始者、村上勝夫の知識を元に…
このような時代に、人間がどの様にしたら、健康に幸せに生きて行くことが出来るのか、明確にこちらのブログで書き記していきます