【雪】ほらね、帳尻が合った
留萌や岩見沢を横目に12月は少雪にボーナスタイムをもらっていた気分の札幌市民だったのではないだろうか。ただ、メディアも少ない雪にそんなに騒がないし、そこで暮らす私たちも「雪少なくて異常だよね!!!」と多少の話題にはなっても、騒ぎ立てるほどではなかった。
と言うのも、知っていたからだ。帳尻合わせを。
毎回話題にするたび「いつ来るかね」「2月頭?」「いやいや、ワンチャン正月あるよ」と札幌市民は話していたに違いない。
コロナ禍による生活習慣の変化経験と2年前のドカ雪&市民生活の混乱などの経験があって、札幌市民はこの異常な少雪のあとの突然のドカ雪に文句言いながらも
(ゴミ収集はこないかもしれないな)
(明日はリモートワークの申請をしておこう)
(2時間早めに出勤しとくか)
(ガソリン事前に満タンにしといて良かった)
などと結構落ち着いている。
とはいえあまりにも急激な気象の変化はやはり災害レベルだ。
地震や火災、台風などその他の自然災害に比べれば雪害のそれはインパクトが薄い。奇襲をかけられて命からがら生き延びる、という鮮烈な戦い方なのではなく、兵糧攻めにじっと耐える、と言うような長期の忍耐戦だ。日頃の心構えと準備、そして体力がモノを言う。
私たち雪降る土地の民は幾度もの想定外の雪害を経験し、次に備えて強くなっていくしかないのだと思う。
行政インフラの脆弱性と個人の強さが相反的な関係性になっているのは最もなことなのだけれど、意外と意識できていないことなのかも。
みんなでコツコツと積み上げてきた社会インフラシステムがうまく機能しなくなったとき、責任者を炙り出して糾弾するのではなく、社会を構成する我々個々人が強くなるターンが来たのだ、と自覚すればうまくシステム確立の試行・運用期間と模索・改革期間がバトンタッチ出来て、社会インフラシステムの新陳代謝を継続して行けるのかもしれない。
ひとつの大きなシステムに依存して盲目的に追随出来る時代の終焉を、様々な事象、事故、事件から感じ取ることが出来る2024年幕開けだな、と個人的には」感じている。