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【短編】オン・ザ・スモーキングルーム (前編)

 『拙者嫌煙ブームの世知辛い世の中でたばこという刀を持ちながら日々煙草道を貫いております、人呼んで煙草侍と申します』
 これは煙草侍の登場セリフだ。煙草侍はどんなストーリーかはわからないが壮絶で現代社会を皮肉る理想的な映画なのだろう。
 前川悟はこんな妄想をしながら、一人、会社のスモーキングルームでたばこを吸っていた。銘柄はアメリカンスピリッツ、通称アメスピだ。
 彼は喫煙室のことを『喫煙室』とは呼ばない。彼は『スモーキングルーム』と呼ぶことにしている。他人の前でもなりふり構わずそう言う。たとえ変な奴だと思われても。
 そもそも、たばこを吸っている奴が変な奴だと認定されるこの時代でたばこを吸っている彼は喫煙室の呼び方が他人と違っても違わなくても結局は変な奴なのだ。
 それゆえ、彼はなりふり構わず他人の前でも『スモーキングルーム』と呼ぶのである。
 なぜそう呼ぶかといえば、ただ単純にかっこいいからだ。『喫煙室』は煙たい。でも、『スモーキングルーム』はかっこいい。ただそれだけなのだ。
 彼はそんなスモーキングルームで考え事をするのが大好きだった。一人で職場のことについて、社会について、国について、はたまた人生について、狭い空間のなかで煙草を吸い終えるまでの間、誰に邪魔されることもなく考えるのだ。
 別に答えが出なくたっていい。ただスモーキングルームにおいて一人でなにかを考えさえすればいいのだ。あの、狭い仕切られた空間で十数分にも満たない時間、心のなかの自分と対話するのだ。
 悩みや、不安、そして考えていることを発するのに、それを一番受け止めて、批判や糾弾をしないのは心のなかの自分なのである。
 狭いスモーキングルームのなかで、自分の好きなアメリカンスピリッツを吹かし、もの思いに耽る。孤独だけど、そんなの関係なくて、むしろ孤独で楽しいスモーキングルームというわずらわしい世間から遮断された、狭い宇宙が大好きなのだ。
 思えば、煙草を始めたのは社会人になってからだった。悟がたばこを始めたのは好奇心で吸ってみたとか、先輩にすすめられたとか、モテたいとかそういった理由ではなかった。煙草は逃避の手段であったのだ。
 悟は安定を求めて大学卒業後、地元の県庁に就職した。しかし、そこで彼は気づいた。物事は正の側面と負の側面がある。公務員は確かに安定していた。しかし、負の側面はそれに対して大きかった。
 県庁で待っていたのは、糞みたいな人間関係と糞みたいな労働内容だった。
 古き悪しき、不合理なマナーを大事にする上下関係、退屈な上司の武勇伝を聞かされる飲み会、コンピューターでやれば早いことをやろうとしない多くの業務内容。彼は公務員畑に辟易していた。かといて、転職するには武器となるスキルがない。その矛盾を抱えたまま、何もできないでいた。
 自分はここで骨をうずめるしかないのか。ストレスはたまる一方だ。そこで、悟は何等かのかたちで発散しようとした。思いついたのは煙草だった。父が喫煙者だったこともあって喫煙に対する心理的なハードルは低かった。
 さらに、面倒な人間関係を喫煙室へ逃避することで緩和できる。悟が嫌いな根性と人情で物事のすべてが解決すると思い込んでいる上司の世代は禁煙を始めていて、喫煙人口が少ない。それでもスモーキングルームで話しかけられて面倒な人がいたときは、遠くから発見して避けることをする。仮にそれで、時間がなくなって煙草を吸わなかったとしても、吸った体で元の仕事に戻ればいいし、鬱屈な職場と業務から一時的に開放される時間ができたことに変わりはないのである。
 悟にとって喫煙者という肩書はくそつまらない職場と人間関係を生きる上でそれを少しでも緩和させるものだった。彼をそれから逃れさせるものであったのだ。
 悟はそんなこんなで、あっという間に勤続年数三年が過ぎていたのだった。三年目の壁と言われ、それを超えたものが良いとされる世の中ではあるが、悟は三年の壁を乗り越えない人々の行動力に関心と尊敬をするのであった。
 あと何年自分はこの職場で耐えなければならないのだろう。いっそのこと、煙草の吸いすぎで早く何かの病気になって死んでしまったほうが楽なのではないか。そんな思いを煙と共に吐き出すのであった。
 こんなはずではなかった。自分の思い描いた人生はもっとバイタリティのあふれた男になるはずだったのだ。悟は現状を憂いていたのであった。

後編に続く

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ダクト飯
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