日本ではわきまえる女は常に絶賛されわきまえない女は常に嫌われる
『機動戦士Vガンダム』と言うアニメがある。
このアニメの二大ヒロインのシャクティ・カリンとカテジナ・ルースは常に嫌われてるヒロインだ!
理由は簡単だ。
シャクティはわきまえない女でカテジナはどうしょうもないDVヒモ男に買われてる哀れな女でそれに気が付かされてわきまえない女になるからだ。
シャクティは主人公ウッソ・エヴィンの年下の幼馴染でウッソがたまたま属したリガ・ミリティアと敵対するザンスカール帝国の女王マリア・ピュア・アーモニアの娘である。
だがピュアすぎてザンスカール戦争の現実に耐えきれないが故にわきまえない女の子になっていく過程が今でも人気がない証拠だ。
カテジナ・ルースはウッソ・エヴィンのあこがれのお姉さんで偶然にもザンスカール帝国のマリア・ピュア・アモーニアの弟のクロノクル・アッシャーを好きになりザンスカール帝国のパイロットになりウッソ・エヴィンを苦しめていく。
余りにもウッソ・エヴィンを徹底的に苦しめるためにこれもまた人気がない。
だが現実問題クロノクル・アッシャーはカテジナ・ルースをDVヒモ男の如く徹底的にマリア主義にマインドコントロールして利用して彼女の愛に一切答えてくれない。
富野由悠季ならではの圧倒的女性の悲劇性だ。
昔から富野由悠季は『機動戦士Vガンダム』でウッソ・エヴィンに代表される子供や女性を素晴らしく描くことはあってもリアルな大人の男の弱さ狡さ汚さをデビュー作『海のトリトン』以来徹底的に描いてきた。
それはロボットアニメの脱構築である『無敵超人ザンボット3』でやり続けて『機動戦士ガンダム』や『伝説巨神イデオン』で頂点を極める。
大人は常にエゴイストなのだと思春期の感性の富野由悠季は唾棄してるのかの如くである。
それは本来はオタクの側に必要な概念であった。
だが今の世の中の大河ドラマ『麒麟がくる』の駒とプリキュアシリーズ17作目『ヒーリングっどプリキュア』の主人公の花寺のどかことキュアグレースの扱いの違い見てると「ああ世間はこういう風にわきまえる女を絶賛してるだけなんだ」と感じてしまう。
『麒麟がくる』の駒は自称大河マニアや自称歴史通から創作のオリジナルキャラクターと言う理由でSNSでは嫌われているが実際は彼女はわきまえない女だから現実問題嫌われている。
しかし世界の歴史TVドラマの潮流の『ヘラクレス』から始まり『ゲーム・オブ・スローンズ』のような歴史ドラマのスタンダードでは駒のような創作オリジナルキャラクターは出さないとマズいのだ。
駒は現代の女性のキャリア・ウーマンや#Metooを象徴した新しい世代の女性キャラの代表で戦国時代の価値観と現代の価値観をブリッジする役割持った世界のスタンダードでは出さないとマズいキャラクターなのだ。
そんな駒のキャラクターが今の時代ではわきまえない女として嫌われているのが日本社会なのだろう!
それは『機動戦士Vガンダム』のシャクティとカテジナのハイブリットの女性キャラなのにそれを嫌うのはまぁいつの時代も新しい女性に対する嫌悪は男女問わないのと一緒!
さて『ヒーリングっどプリキュア』の花寺のどか事キュアグレースなのだがまぁ彼女は傍から見たら#Metooの欠片もなければオタクが喜びそうな要素満載でピュアな少女だ!
だが彼女は所詮は『タクシードライバー』のトラヴィスみたいな自分が正義だと信じたDVヒモ男みたいな連中にマインドコントロールされてるだけの哀れな女わきまえる女である。
それはシャクティとカテジナのキメラの如きオタクの悪しき前例踏襲しただけのわきまえる女でしかなく現実はテアティーヌやラビリンにマインドコントロールされDVヒモ男の如く搾取されているだけなのだ!
同様に日本の世間やオタクは花寺のどか事キュアグレースみたいなキャラを様々な媒体でDVヒモ男の如く搾取してるだけなのだ。
これの何処がわきまえない女なのかね?
富野由悠季聞いたら激怒するぞ!
この駒と花寺のどか事キュアグレースの扱い聞いたらこれを思い出した!
よく分かるのだがこんなとんでもない人間がトップにいる時点でどうかしているので文春砲はマジで救いだった事例だ。
こんなとんでもないアニメヒロインをわきまえない女として紹介する日本のハフポストの記事を書いた加藤藍子氏の評論はまさにわきまえた女そのものの記事である。
Twitterも覗いたがジェンダー論もアニメと漫画は専門家と名乗れるほどの資格はないのは保証しよう!
これをどうか説明して欲しいよ?