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義務教育でプログラミング教育必修化に関係しないプログラミング言語LOGOの余計な昔話

私はつい数時間前に次の記事をメインサイトに投稿し、TwitterやFacebookその他にも投稿した。

この記事で、30年以上前の教育向けプログラミング言語のLOGOについて、今でもMZ-2000用に当時買ったMZ-LOGOを持っているので言及したが、その中で

当時の他のパソコンでLOGO言語が製品化されなかったように、教育用プログラミング言語として一瞬脚光は浴びたが、少なくとも日本では需要が無かったのである。

と書いた。
当時も今も、私の認識としてMZ-2000/2200以外にパソコン用のLOGO製品はない、と思っていたのだ。
ところが違っていて、実はソニーのSMC-777(SMC-777Cもだと思うが)に、標準で「Dr.Logo」なるプログラミング言語が付属していたことを、今さっきこの記事を読んで思い出した。

くっ!ソニーのSMC-777かっ!!

・・・スッカリ忘れてたぜ!w

1980年代のパソコンに関しては、日本国内メーカーのパソコンであれば、ほぼイジっているので知らないパソコンはないと今でも無駄に自負しているが、実はSMC-70に関しては実機を見たことすらない(パンフレットやパソコン雑誌等では知っていた)。

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まぁ、こんなパソコンなんだが、今となっては誰も知らんな。
当時は5インチ(正確には5.25インチ)フロッピーディスクの次期規格で、ソニーの3.5インチか、シャープと日立の3インチか、で水面下では熾烈な規格争いがあったようだ(知らんけど)。
そこでアッポー社がマッキントッシュ(マック)でソニーの3.5インチフロッピーディスクドライブ(よく、FDDと略すヤツね)を採用し、一気に3.5インチフロッピーディスクが次期規格としてデファクトになったし、ソニーは自社製パソコンのSMC-70にいち早く採用した。
迎え撃つシャープはX1Dマニアタイプに、日立はベーシックマスターレベル3の外付けドライブと、ベーシックマスター1600で3インチドライブを採用したが、どちらも激しくマイナーで撃沈したのだ。
そもそも論で言えば、ソニーが開発したトランジスタ・ラジオが戦後初の日本の輸出工業製品だったように、早くからソニーは世界的な視野で企業経営と製品開発をしていたから、フロッピーディスクに関しても、音楽のカセットテープやCD、MDに関してもソニーが規格を制したと言える(ビデオに関してβ規格はプロ用には世界的に通用したが、家庭用では敗れることになった)。

話を戻そう。

当時なんでフロッピーディスクが重要だったかと言えば、8ビットパソコンでラジカセやデータレコーダでカセットテープにプログラムやデータを「録音」して残し、それをロードするのは、欧米ではとっとと廃れ、日本では割とそれが主流だった。
ゆえに、VisiCalc(AppleⅡで動く世界初の表計算ソフト)の登場により「パソコンはビジネスに使える」と欧米では認識し、それを快適かつ合理的に使おうとするのは当然の成り行きだ。
ところが日本ではMS-DOSの時代になって、しかも(マイクロソフトのMultiPlanがすでにあったのに)Lotus1-2-3が登場するまでその認識がなかった。
つまり、フロッピーディスクでソフトウェアが流通し、データをフロッピーディスクに保存することになると、どうしたってそれを効率よく処理するためのOSが必要になる。
それで当時の8ビットパソコン(マイコン)用に登場したのがデジタルリサーチ社のCP/Mで、欧米ではメジャーなOSだったのだ。
ところが製品としてのスタンダードCP/Mは、基本的にスタンダードフロッピーディスクである8インチフロッピーディスクで利用されることが前提だった。
それがダウンサイジングして5インチフロッピーディスクとなり、次世代として3.5インチや3インチ、実はアメリカのIBMは4インチフロッピーディクスを作っていたりしたのだが。

なんでか?

今の若い人はフロッピーディスクすら見たことがないと思うが、なんでフロッピーディスクが開発されたかも知らないだろう。
元々は日本の発明家で、都知事選の泡沫候補としてもお馴染みだったドクター中松氏が、「レコードをプレイヤーで再生する時に発生するスクラッチ音を消したい」という、音楽媒体として発明されたのがフロッピーディスクなのだ。
よってLPレコードよりは小さいが、最初のフロッピーディスクは8インチサイズだった(これをスタンダードフロッピーディスクと呼ぶ)。
ところが、日本国内のメーカーはドクター中松氏が売り込んだフロッピーディスクに見向きもしなかったが、アメリカのIBMに売り込んだらアッサリ売れたのだ。
ゆえに、フロッピーディスクはIBMの大型汎用機と共に世界的に普及したのである。

かなりザックリ細かいことを端折って書いてもこれだけの説明が要るのだが、さらに端折ると、普通に考えて8インチものデカいフロッピーディスクでは保管するにもカサばるし、持ち運ぶのも面倒だ。
そこで5インチフロッピーディスクが登場したが、8インチフロッピーディスクを単純に小さくして記憶密度を増やしただけなので、ペラッペラだし、磁気面がエンベロープで隠さないと露出したままで、何かあれば簡単にフロッピーディスクが損傷して記録が飛んでしまう。
そこで、より堅牢かつ小さいフロッピーディスク媒体が求められたのだ。

なかなか、LOGOの話に到達せんな。

要するに、

・パソコンにはフロッピーディスクが必需品
・OSはCP/Mが欧米で(当時の世界的に)スタンダード
・3.5インチフロッピーディスクはソニーが規格を制した

のである。
ゆえに、ソニー製の最初のパソコンであるSMC-70でも3.5インチフロッピーディスクドライブを標準でサポートし、CP/Mもあったし、当時主流であったプログラミング言語であるBASICも標準搭載していた。

が、売れなかった

そこで2発目のSMC-777で先代の弱点を改良し、満を持してパソコンを発表した。
その時に標準搭載されたのが「Dr.Logo」というLOGO言語で、当時主流だった非構造化プログラミング言語BASICとは違う(そもそもBASICは初心者向けのプログラミング言語である)、最先端の教育向け構造化プログラミング言語のLOGOなのである。要するに、ソニーはデジタルリサーチ社が開発したCP/Mや、Dr.Logoといった製品をバンドルした世界標準のパソコンであったのだ。

が、売れなかった(2回目)。

流石にSMC-777は宣伝キャラクターに松田聖子を起用したり、割とハデにプロモーションをしていたと思うが、私も含めそれは「人々のひとビット♪」のMSXでの松田聖子だろう。
要は、ソニーですらパソコン事業で「本気で売れる」とは思っていなかったのではないか?
それが特に自社の独自規格パソコンであれば、SMC-70の失敗もあったから、余計にそうだろう。
個人的に「見た目の色以外に何が変わったのかワカラン」SMC-777Cが発売され、当時の私は先代のSMC-777と違うカラーバリエーションなのかな?ぐらいにしか思わなかったが、特に魅力があるパソコンではなかった。

で、やっぱり売れなかった(ダメ押し)。

ソニーは世界的かつ戦略商品としてSMC-70や、SMC-777シリーズを海外展開して販売していれば、こんなに惨敗することもなかったろうにな、と思う。
その点で不思議なのがシャープで、MZ-80シリーズを世界的に(と言っても主に欧米でしかなく、シェアがあったのは何故かヨーロッパ各国だが)で販売しており、今でも熱心なユーザ(マニア)がいる
私もその一人ではあるが、今でも当時のパソコンを愛してやまないシャープMZ-700シリーズユーザの名言を紹介しよう。

MZ-700に不可能はない!

これを説明するには(そもそも私はMZ-700ユーザではないし)面倒なので、適当に検索してその知られざる日本のパソコンヲタクの深淵を知って貰えれば良い。
残念なのは、先進的なパソコンであったSMC-777や、先進的なプログラミング言語であったLOGOが絶滅してしまったことである。

いつの世も、先進的であることが良いことでもなければ、メジャーになり得る要素ではないってこってすな。
何かしら魅力がなければ、製品や人はついて来ない。
・・・ああ、ワシも自分に何かしら魅力があればなぁ。(´;ω;`)ブワッ

ともあれ、結局のところLOGOの需要が無かったのは、間違いない

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