「朝昼夕夜と春夏秋冬の関係」

 朝昼夕夜と春夏秋冬は照応関係にある。歴史的に考えると、地球が生まれてから、予めあったのは、一日、一日であり、朝昼夕夜が始めにあったと言えるだろう。朝昼夕夜、この四つを歴史的に反復することで、春夏秋冬へと、大きなスケールで凝り固まっていき、そのまま気候へと移っていったのだろう。

 朝昼夕夜も、春夏秋冬も、空の事情だ。私はここで直感的に気分のことを思い出した。天候は気分の象徴であるのだが、天候と春夏秋冬という気候は如何なる関係にあるのだろう。まず考えるべきなのは、気候というのは何の象徴であるか、ということである。その根源は朝昼夕夜であり、日による事柄だ。もっと言えば夜には月が出てくる。ここで明らかなのは、一日には陰陽があるということである。明るい陽から始まり、暗く陰るところへ還っていく。ここでさらに、その形式だけを抽象的に考えてみれば、一日とは始まりと終わりである。始まりと終わりというのは、生と死だと言い換えることが出来る。

 これを気候的に考えれば、春に生命が芽吹き、夏に活き活きとなり、秋に枯れ始め、冬には眠りにつくということになるだろう。一日も気候も、生死を象徴とするのである。さて天候と気候の関係はなんだろう。

 天候というのは、空における事柄だが、その空の事情は、日の影響を多大に受けている。当然、日が強く働けば、空は晴れになる。相対的に日が弱くなる時、空は曇り、世界は陰るだろう。陰陽というのは、ポジティブとネガティブという意味も作り出す。気分というものが二分されるのは、実にこの原理による。気分というのは喜怒哀楽・愛憎、というように、全て陰陽に二分される。陰陽に左右されるのが気分なのである。当然と言えば当然だが。言い換えれば、陰陽の中のグラデーションの中には、様々な気分的なものがある。気候の中には様々な天候がある。

 ところで、春夏秋冬は何の表象が支えているのだろうか。植物ではないだろうか。植物こそ生命の根源であり、生命を代表するものなのだから、その表象が気候と結び付けられるのである。

 植物というのは、生命の根源であり、食物連鎖の最も下に位置する。しかし、それは単に弱い生き物という意味だけが成立するのではなく、植物が底から生命を支えているのである。そして食べ物には味があり、それは言葉とその意味と照応関係にある存在であった。そして当の味覚はと言えば、気分を意味するような語で出来ている。甘味、辛味、苦味、酸味、など。ここでもしっかりと、生命の中に気分的なものが内包されているのである。意味が重々無尽にテクストへと織りなされている。

 ところで、植物だけではなく、朝食や夕食にも、生命の意味は織りなされているのだ。例えば、朝食には、牛乳、卵、など生命の始まりを意味するものや、軽いものが料理によく使われる。夕食は重いものでも胃に入る。軽いものと重いものには、陰陽が重ねられる。言うまでもないかもしれないが、軽いものが陽であり、重いものが陰である。光は質量がなく軽く、反対に質量が大きすぎるものがブラックホールである。

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