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ネガティブが必要な訳〜比較がないと、私たちは認識できない


今日は福岡も、とっても寒くて、最高気温も3度だそうです(汗)昨日はちょっとお出かけして、これから2ヶ月ほどの真冬に備えるべく、
念願のダウンコートを購入してきましたよ。

次男とか、外がどんなに寒くても、お休みの日は外にサッカーをしにいったりしなきゃいけなくて、そしてそれに付き合うのは私なので、暖かい羽織物は必要不可欠なんですね〜。これから数年の真冬も、きっとこれで乗り越えられるはず・・・!


さて今日は、「ネガティブが必要なわけ」についてです。
自分の人生や家族など、大切に思っている人たちの人生においても、できるだけネガティブなことって、起きてほしくないって思っちゃいますよね。
多分、初詣などでもそういった願い事をしてきた人たちも多いのではないでしょうか?

苦しいこと、辛いこと、悲しいこと、絶望すること・・・そんな経験・感情をできるだけ避けたいと思ってしまいます。


なんですが、私たちにはネガティブな感情や出来事が、どうしてもこの地球上の世界においては必要なんですね〜。

それはなぜか。

「ネガティブなことを感じないと、ポジティブなことも感じられないから」です。

想像してみてくださいね、例えばあなたや周りの人たちの人生において、ネガティブだと感じるようなことが一切なかったとする。
そしたらずっと、あなたや周りの人たちにとっては『良いこと』ばかりが存在していることになりますよね。
でもその『良いこと』っていうのは、それだけが存在していても、あなた達はそれが「良いこと」だとは認識できないようになっているのです。

なぜならそれを「当たり前のこと」だと思っているから。

1つ、わかりやすいように例をあげますね。

私たちが普段、当たり前だと思っている、自分の身体の健康について挙げてみましょう^^
自分の身体が、病気や不具合もなく健康である時、それだけがずっと続いている最中って、もうそれが私たちにとっては当たり前のこととして捉えていますよね。
その時、自分が健康であることに対して、なんの感謝も持たないことがほどんどだと思います。(感謝ワークが身についている人は別ですが)

ですが、ここに突然、なにか身体の不調や病気が出てきたとする。(これをネガティブとここでは捉えてみます)

するとあなたはこれまで当たり前にあった自分の身体の健康に対して、それは本当は当たり前なんてものではなかったことを知ったり、健康だった時の自分の状態に対してものすごく感謝をし始めることになるんですね。

腰痛がない時は、自分の身体に感謝なんてしませんが、一旦腰痛を体験して回復出来た時・・・そこには腰痛がないことへの深い感謝が生まれるものです。そしてその痛みが強ければ強いほど、感謝の深さも比例します。

こんなふうにして、この世界で体験するネガティブなことっていうのは、その反対側にあるポジティブを、私たちが認識するために、必要として存在してくれているんですね☆
ネガティブがなければ、ポジティブは存在できません。
逆に、ポジティブがなければ、ネガティブも存在できないんです。

いかがでしょうか?こんなふうにネガティブだと感じるようなことに対して、見方を変えてみると、全てが感謝に繋がっていくような感覚になりませんか?^^

これからは、「このネガティブを感じていることで、私は〇〇についてポジティブも感じられるようになっているんだな、感謝。」というふうに、意識を変えていってみませんか^^

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