最大の贅沢

 休みの日にすべきことはなんだろうか。

 いつもより長く布団との仲を深め、二度寝による絆の強化を図る。溜まっているアニメやドラマを一気見する。大好きなケーキ屋で、自分用に2種類買って食べる。明日も休みなのでにんにくましまし中華を食べる。山奥や海辺へと車を走らせてみる。

 いつもできないことを休みの日にまとめてしまう。朝から起床時間を遅らせたにもかかわらず、起きた後は忙しい。溜まっている家事を片付け、食欲のままに内臓を酷使し、五感全てに娯楽を詰め込む。

 心身ともにすべてを使い果たし、気づいたときには休みが終わろうとしている。残された自由の時間は残りわずかとなる。家事をしながらアニメを一気しても、音楽を聴きながら筋トレをしても、ながらをどれだけこなしてもなぜか時間が足りないのである。

 この致命的な時間不足を解決する策は、どんなに人気な啓発本でも、偉大な経営者たちの時間術でもない。なんせ休みの日のタイムスケジュールは、自分ができる仕事量を超えているからだ、バイタリティ人間とは違う時間の流れと体の動きによって最適化されている。

 問題の解決策は、前提条件を覆すことである。今回の場合、休みの日という時間的制約を取っ払って、もっと平日に家事とかを済ませておけば良いという話であり、料理をきちんとして好きなものを食べておけばよい。平日と休日は連続的なもので、分けられるものではない。

 常日頃からきちんと生きることが、休日もあせくせせずに過ごすことができるという古代から脈々と受け継がれる真理にまた気づいてしまうのである。この真理は常に心の奥底にあり、休日の最後に思い出され平日の朝には忘却の彼方へと無限の航海を敢行する。

 そんなこんなで、毎日きちんと生きるという無謀については一旦棚に上げるとして、もっと現実的な解を考えなければならない。ここで肝心なのは、1週間の疲れをきちんと癒すこと。平日の疲れはもちろん、休日で溜まった疲労や思考を全て洗い流す必要がある。

 この体から全てを洗い流す魔法を可能にしてしまうのが、人類の欲望の権化、近代叡智の結晶ことスーパー銭湯である。誰も入っていない浴槽にも常に熱々の湯が注がれ続ける。体を温めれば筋肉が緩み疲労が流れてゆく。サウナに熱せられ頭を蕩けさせて思考を蒸発させてゆく。

 あまりの贅沢に身も心もほぐされたところで今週もまた無事終了する。これだけの贅沢が、1000円かからずに享受できるこの幸せもっと噛み締めて生きたっていい。