"あの頃の10月の匂い"、"あの頃の10月みたいな匂い"
夕方、窓を開けると、涼しい風と一緒に秋の匂いがした。
僕はこの季節になるたび微かに漂ってくるその香りを
"あの頃の10月みたいな匂い"と呼んでいた。
あの頃の10月。中学生の頃の10月の匂い。
ひたすら駄弁った部活帰り、駄菓子屋に寄ると、運動部の友達はもう既に集まっている。男子は一昨日まではまだ夏だったじゃんという格好をしているけど、寒がりの女子たちはもうくるみ色のカーディガンを着ているか、部活帰りに長袖のジャージをそのまま着ている。
駄菓子屋の室内の小さい木製テーブルに置かれた誰かの携帯電話からGReeeeNの「キセキ」が流れている。
少し離れた女子のグループの携帯からは加藤ミリヤ×清水翔太の「Love Forever」が流れていて、空中で細やかに衝突している。
その頃の男女の微妙な距離感を象徴するように、交ざり合っているけれど、弾き合っていて、不調和だけれど、求め合っているような、空気の衝突。
最初に買った蒲焼さん太郎の焼き肉味とわさび味を食べきる頃、
それでもまだ小腹が空いていて、思わず追加でブタメンを買ってしまう。
お店のおばちゃんが「夕飯食べられないよ怒られるよ~」と冗談交じりに言いながらもお湯を入れてくれる。
誰かが僕に言う。
「お前梅ジャム入れねえのかよ!」
「俺は梅は嫌いだって!このやり取り1000000万回しとるわ!」
かき混ぜる時間を合わせたらちょうど3分という持論から、
だいたい2分30秒でブタメンを混ぜ始めて店の外に出る。
10月末の少し肌寒くなってきた18時前、駄菓子屋の外にあるコカ・コーラのアルミベンチに座りながら温かいブタメンのスープをちびちび飲む。
ついこの間まで、この時間には点灯していなかった街頭が目に痛いくらいチカチカ輝いている。
隣に誰かが座る。
「やっぱまたブタメン食べてる~!てか、いつもメールの素っ気なくない?もっと絵文字とか使わないとモテないよ~」
僕は答える。
「なんか絵文字って下心ありそうじゃん、それに使わなくてもモテモテだからなぁ~」
「うそじゃん~!てか、もう暗くなったよね~寒い~」
大げさに震える素振りをして、はみ出たカーディガンの袖から両手であったか~いココアをにぎにぎする。
ブタメンのスープ、ココアの香り、誰かの制汗剤、
そして、風が吹いて"あの頃の10月の匂い"がする。
17時でもう外は暗くなってきて、18時半までには家に帰らないと誰もが怒られてしまう。
誰もが18時半までの魔法がかけられた放課後のシンデレラだったあの頃の、
そんな2時間もないわずかな時間の香りが"あの頃の10月の匂い"だった。
そんなことを思い出しながら洗濯物を取り込む。
料理の支度をする母に「むかしの秋の匂いがするね」と言うと
「ああ、金木犀だね」と一言。
"あの頃の10月の匂い"の主成分は、金木犀だったのか。
草花にあまりにも興味がないので、金木犀がどのような植物であるかを知らない。
ただ、最近は植物に興味を持つように努めようとしている。
1ミリも興味を抱かなければ、死ぬまで知らないままでいるであろう事柄が
世の中には多すぎる。その最たるものが植物だなと、最近思うようになった。
そのやり取りの翌日は、心地よい秋晴れだったので、あえてGoogleで検索したりせず、鼻をだけ頼りに家から一番近い金木犀の在処を探してみることにした。
Twitterのフォロワーが金木犀の花が傘についている情緒ある可愛らしい画像でバズっていたので、幸い花の形は知っていた。
まだ見ぬ金木犀の香りを頼りに散歩へ出かけると、歩いて約4歩、マンションのエントランスに金木犀が植わっていた。
お前だったのか……いつも秋の匂いをくれたのは。
え、というか木だったんだ……花だと思ってた……物事知らなすぎるだろ。
まるで興味がなかっただけで、幼少期から常にそこにあったんじゃないか……そりゃ匂いと季節も結びつくわけだ……
すっきりしたと同時に少しガッカリした。
"あの頃の10月の匂い"に"金木犀の香り"という誰でも知っている名前がついてしまったように感じたからだ。
いや、それでも。金木犀の香りは、あくまで"あの頃の10月の匂い"の
主成分であって、"あの頃の10月の匂い"ではない。
金木犀の香りを背景に、ブタメンのスープの匂いがして、ココアの匂いがして、制汗剤の匂いがして。あの頃の僕たちからしか発せられない若い匂いがして。それらを冷たくなってきた10月の風がかき混ぜて、僕のもとまで運んできてくれなければ、"あの頃の10月の匂い"ではない。
その残り香を追うことは出来ても、本物の"あの頃の10月の匂い"はもう嗅ぐことはできない。それはあの頃にしか存在しなかった香りだった。
僕と"あの頃の10月の匂い"の関係性に明確に再定義するは必要ない。
複合ノートのエッセンスはブタメンじゃなくても良い、ココアじゃなくても良い。
あえて、言葉で安易に既知の感覚に落とし込んだりせず、明確に定義しない。普遍的で陳腐な表現にしたくない。そんな主観の独自性でしか担保できないあの香りを愛していた。
だから、金木犀の香り自体は、あくまで金木犀の香りであって、
"あの頃の10月みたいな匂い"だ。
いつか、金木犀が香るこの季節に、他にも金木犀に思い出が代入されることがあったら、それをベースに一体何の香りが混ざるんだろう?
金木犀が香ったとき、ふと脳裏を横切るような思い出が、これからの人生で少しでも増えれば良い。
29年も生きて、ようやく短い"秋"の解像度があがった。