ソーシャルフィットネスへようこそ。Vol.2ーフィットネスに魔法はない。
前回の記事では、今隆盛を迎えているさまざまなヘルスケアサービスが、結局どれも「モチベーションの管理」を共通のイシューとしているのではないか?という仮説を提起してみました。
大事なのは続けること。
つまり、ここから導き出されるのは、「トレーニングに魔法はない」という苦い真実です。メソッドの効率を高めるよりも、「続けるほうが強い」。
その点、ナッジ(=「そっと背中を押すこと」)によって、行動をはじめることを「促す」、ゲーム性を導入することによって、トレーニングの行為から反復性をへらし、飽きないようにする……といった一連の施策はたしかに行動科学的に納得のいくものではあります。
しかしここには、ひとつの暗黙の前提があるように感じます。
それは、「トレーニングは個人がやるものだ」という前提です。
(これはグループレッスンでも個人がただ集まっているという意味では同義と考えます。)
この前提に立つ従来のトレーニング観では、このように考えます。
一人でやっているから、アプリに励ましてもらう必要がある。
一人でこなすなら、動作や習慣をとおしてアプリを通して行った方がまだ楽しいというわけです。
しかし、僕はこう考えています。
例えば筋トレの場合、基本的に、己の筋肉のコンフォートゾーンを超えることによって(=オールアウト)、筋線維を漸進的に成長させます。マシンの重りはしばしば、「もうこれ以上無理!」という最大限に設定される必要があります。つまり「ツラさ」によって成長を呼び込むので、このツラさは構造的に避けられません。
こういう肉体的なハードルを前にして、個人を仕組みによってやる気にさせるもろもろの細工には、原理的に限界があるのではないでしょうか?
そしてそもそも、一緒にトレーニングをする人がいるのであれば、こうした施策は必要でしょうか?
ここで僕は山極京大総長の言葉を引用したいと思います。
「チームワークを強める、つまり共感を向ける相手をつくるには、視覚や聴覚ではなく、嗅覚や味覚、触覚をつかって信頼をかたちづくる必要があります。」
五感を用いる必要があるのならば、アプリだけでは難しい。
「現代に至るまで脳の容量は変わっておらず、今の人間も実は「150人の群れ」のための脳しか持ち合わせていないんですよ」
フィットネスにおいて、規模をスケールさせるほどに、「150人」の条件も難しくなってくるので、ただ集団が形成されているフィットネスクラブや暗闇のグループフィットネスには適用されないことになります。
こうしたことから、バディトレも構造的に100−120人程度のコミュニティをマックスとして事業を運営しております。
ただ「群れを作る」と言っても、何も熱い友情や、「団結」が必要なわけではありません、ただ誰かが「もう一回!」と声をかけること、隣で一緒に、「身体」という同じ課題に取り組んでいること、それだけで、モチベーションの問題は大部分、解決してしまうのではないでしょうか?
ここが、弊社のコミュニティフィットネス「バディトレ」の、いわば出発点になりました。
フィットネスの孤独を「バディ」で解決する。
「バディトレ」は、その名前のとおり、buddy(相棒)と組んだ二人一組をベースに、2×n組の集団で行うトレーニングです。
「一緒にトレーニングする」といっても、とりわけチーム性や協力を要求するわけではありません。各々が行為に没頭する間、他の人は必要に応じて負荷を調整したりします。
学校の体育ではありませんから、なにかチームの団結を強制するようなことはありません。ただ、各々がこなす目標に向かっていく中で、交流は自然と生まれます。
たとえばバディトレでは、ワークアウトごとにそれぞれの心拍数を表示するシステムをとっているのですが、このパネルを見ながら、「〇〇さんは今回は随分頑張りましたね」とといった会話は自然と生まれてきます。
毎回のワークアウトの外にも、たとけばフェイスブックの会員ページではさまざまな交流イベントが開催され、食事やアウトドア、あるいはスパルタンレース出場まで企画されますが、これらはもちろん自発的なアクティビティという位置付けなので、淡々とワークアウトに参加するだけの方ももちろんおられます。
こうしたコミュニティは、星野が仕組みとして「作った」と豪語できるものではなく、いわば自然と生まれたものです。そしてこのゆるやかなコミュニティが、自然と参加者を「ナッジ」して、ゲーム性というよりは「緩いつながり」によって、半年、そして一年という高いコミットメントを結果的に達成していることに気づいたのです。
わざとらしいグループワークではなく、とってつけたようなゲームでもない。目新しさはないけれど、科学的見地から選び抜かれた良質なプログラムを、紹介制でゆるやかにつながったメンバーで顔を合わせて、和気藹々と行う。これが、当たり前のようでいて王道の、「続けられるフィットネス」なのではないでしょうか。
コミュニティはいまや流行り言葉、モチベーションの管理も流行り言葉です。これらを生み出す工夫は必要ですが、すべてを「仕組み」で解決することはできない。ひととひとが自然につながって、それぞれ習慣をつくることによって、お互いがお互いを飽きから救い出し、「習慣化」することができる、というのが僕の仮説です。
こっそりジムに通って、痩せなければ返金というのもいいでしょう。でも「孤独である」ということは、フィットネスにおいては最大の問題なのです。ある心理学者は、人とのゆるやかなつながりが生活習慣を生み出し、生活習慣が心身の健康を規定し、心身の健康が職業生活のクオリティを決定することを指摘し、このつながりを「見えない資産」と呼びました。バディトレはあなたの人生に見えない資産を共に作るための事業なんです。
フィットネスを、見えない資産をつくるところから始めませんか。
次回は、バディトレにはどのような人びとが集まっているのかについて書いてみたいと思います。