脳科学入門I-b
心と体(=脳)は同じものだ!いや、別物だ!という議論を統一的にまとめようとする試みは少なくとも19世紀初頭に始まります。
19世紀に様々な発見がなされるにつれ、心が特別なものであるという考えに代わって、心=脳が特別なものであるという考えも生まれてきました。
脳に対する様々な仮説が生まれては消えていきました。そのほとんどが現在では否定されていますが、その仮説を検証するためになされた実験や外科治療なども行われました。現代からこの時代の一部分を切り取ってみると残酷だと断じることができますが、ときに驚異的な結果や治療効果が出ることもあり、のちの研究に大きな示唆を与えることになります。
そして二つの大きな大戦に前後して、我々は素粒子の発見に至り、人類は原子の力を手にします。しかし尚、脳は特別な器官であり、多くの科学者の入城を許さない難攻不落の黒い城として人類の前に立ちはだかっていたのでした。
そして脳科学を含めた生物学界全体にとって、大きな転換点が訪れます。1953年、ワトソン(James Dewey Watson)とクリック(Francis Harry Compton Crick)によってDNAが遺伝子の正体であることが突き止められたのです。
ちなみにワトソンとクリックによる記念碑的なこちらの論文、もちろん全編英語ですが、わずか2ページ。2023年9月時点でワトソン博士はまだ存命です。
興味ある方は一読を。
DNAによってコードされているタンパク質の配列を調べることにより、それまで特殊な器官であると考えられていた脳をはじめとする神経系に発現する多くのたんぱく質が、それ以外の器官で見られるありふれたたんぱく質と類似のものであることが分かったのです。
脳というブラックボックスを開けるカギを人類は手に入れました。
脳トレPoint‼
学問の世界では今まで別物だと考えられていたものが、ある発見や発明により、同じようなものだと認識され、一気に進歩することがあります。DNAの発見によって細胞学や生物学を統一的に議論することが可能になったように、科学的に証明されることもあれば、たった一言、一つの体験、一つの学習により脳の認識が変わることでいわゆる「世界が広がる」個人的な体験として現実に現れることもあります。
科学でも、個人的な経験でも、これらを指して「統合、統一」などと呼びます。
個人的な体験レベルでは、いわゆる「アハ体験」、「腑に落ちる」、「心の底から納得する」体験などがこれに当たります。そうとう乱暴に言えばこれらの体験を多く積み重ねた人は脳の機能が高い人と言えますし、様々な分野に影響を与えるような科学的な発見を行った人は、同じように脳の機能を高度に発揮できた人と言えるでしょう。
あなたは最近、「あぁ、なるほどなぁ」と細胞が震えるほどの体験をしましたか?意図的にそういうものを探し体験することを目指してみましょう。探索行為はそれ自体が素晴らしい脳トレになります。
余談ですが、このような体験をしたときは「エウレカ!」と叫ぶとさらに効果が高まるそうです。
さてさて、こういった「統一」体験の気持ちよさとは、どこから来るのでしょうか?面白いことに、「あ~なるほどなぁ!」という気持ちの良い感動を得ると、人は後頭部と側頭部の筋肉の緊張が一気にほぐれることがあるそうです。さらに深く深く感動すると、頸椎一番二番の周囲の微小筋群のコリや頭蓋骨の中心部にある日常的に使われない(そしてコリを自覚できない)筋群まで緩むことがあるそうです。脳内では幸せホルモンがドバドバ出るのでしょうし、それが自律神経に影響を与え、微小筋群の緊張まで解す濃度に達するのでしょう。
筆者の知る整体師は頭蓋骨周りの筋肉のコリを解すのが抜群にうまく、筆者も施術をお願いすることがあります。頭蓋骨を締め付けていた筋肉のコリが解れると、本当に「世界が広がった」、「視界が開けた」経験が出来ますので、そういった技術を学んだりしてみても良いかもしれません。
ちなみに側頭筋がとろとろに解れると、前頭骨がなくなって下を向くと脳が前から滑り落ちてしまうかのような感覚に陥りますし、後頭下筋群がとろとろに解れると、重い頭部が風船になってそのまま天に昇っていくような不思議な感覚に陥ります。これを日常化できると良いですね。
脳の細胞、生理的な仕組みが、身体のその他の部位と実はそれほど変わらないという知見が積み重なるにつれ、心と体を生理、細胞、分子という文脈で語ろうとする試みが生まれました。
脳科学の幕開けです。
現代では、いわゆる脳の機能:移動、摂食、生殖などの本能に根差した低次の機能から、思考、認知、会話、そして芸術活動などに至る高次の機能まで、すべて神経ネットワークによるさまざまな表現型であると仮定しています。脳は人間が人間であるためのすべての複雑な認知や行動の出発点であり、個性や精神疾患などの障害も脳に起因すると考えられています。
脳には数十億個という神経細胞が常に情報処理を行っており、これらがどのようにして行動や認知を生み出しているのか、そして脳神経細胞がどのように環境から影響を受けるのか、これらを様々な角度から考察し、実験し、分析するのが、現代脳科学の研究の主な手法となっています。
さてほとんどすべての学問の黎明期には、微小構造と極大構造、低次と高次、局在と全体を「つなぐもの」を見つけることが、大きなテーマとなります。
DNAの発見による心と体の統一が行われたあと、続いて行われたのが、脳の特定の部位と特定の機能を結び付けようとする研究です。1960年代には多くの研究が行われ、結果として脳の特定の部位と認知、行動が強く関連付けられていることがわかりました。今回は最も人間的な認知行動の一つである「言語」について機能の局在と運動機能のつながりに脳科学がどのように説明を付けていったのかをたどってみましょう。
時間の針が少し戻ります。
脳と言語
脳の破壊的な実験などを通して(なんと恐ろしい!)、どうやら前頭葉に、心と呼ばれるものの、少なくとも断片が存在することが示唆されていました。脳に心が存在するとすれば、精神と呼ぶ個別の要素は存在せず、すべての人間の認知行動は脳の活動に還元でき、脳には学習能力があるため精神を改善、強化できるという概念が生まれました。魂の存在を原動力とする宗教界や、高貴さを生来のものであると信じるヨーロッパの貴族などからは大変な反対がなされたそうです。時代を考えれば、それこそ迫害とも呼んでも差し支えないレベルだったでしょう。
さぁ、ここで脳と人間の機能に特定のつながりがあることを科学的に裏付けた三人の19世紀の医師に登場してもらいましょう。脳に関する書籍を少しでも読んだことのある方なら、必ずこの三人の名前を目にしたことがあることでしょう。
脳科学の歴史に燦然とその名を遺す、フランスの神経内科医ブローカ(Pierre Paul Broca)、ドイツの神経内科医ウェルニッケ(Carl Wernicke)、そしてドイツの脳神経学者ブロードマン(Korbinian Brodmann)の三人です。
それでは各人の業績を概観してみましょう。
自称ダーウィンの崇拝者、神を捨てて進化論を選んだ男ブローカは、失語症と脳の機能の研究により、脳の特定の部位が言語と密接に関係していることを史上初めて突き止めました。ちなみに彼の父親はナポレオンの御典医師を務めていたそうです。そんな時代のお話。
彼は脳に障害を受けたことによっておこる失語症の研究により、右利きの人の左前頭葉腹後部に「発話」をつかさどる部位が局在していることを発見しました。今日ブローカ野として知られるこの部位に障害が起きると、文章の理解は正常であるのに発話が障害されるというブローカ失語症を引き起こします。
ブローカ野の面白い点は、大人になってから獲得した第二、第三言語などの多言語話者の言語能力と密接に関連しているところです。大人になってから身に着けた言語は母国語で使われる神経回路とは”別に”、ブローカ野に新しい回路を作り保存されます。それぞれの言語を切り替えるときは、別の回路が活性化され使われ、それ以外の言語の回路が抑制されるという面白い特徴があります。
筆者は中国語、韓国語、英語を第二、第三、第四言語として話せます。それぞれの言語からほかの言語に切り替えるときは、どこか意識のスイッチの切り替えが必要です。切り替えがうまくいかないと、例えば中国語のニュースを見ているときに急に日本語で話しかけられるととっさの応対が中国語になってしまったりするのです。母国語以外の言語を流ちょうに話せるようになるまで学習すると、それ自体が良い脳トレになるうえ、人生に多くの恵みをもたらしてくれます。しばらく勉強してないなぁという人は、ぜひ一定の時間をかけていろんな外国語を身に着けてみましょう。ちなみに筆者は最近デーヴァナーガリーとベルベル文字を書けるようになりました。
ブローカの業績は脳に機能が局在することの証左となり、脳科学や言語学の分野にまさに革命を起こしました。彼の業績に続いて様々な機能の局在が発見されることになります。ブローカの業績をうけて、脳科学に大きな進歩をもたらすことになるのがウェルニッケによる失語症の研究です。
ウェルニッケはブローカの業績に感銘を受け、失語症を分類したりそれが脳の部位とどのように関連しているのかを研究しました。そしてブローカ失語症とは異なる、ウェルニッケ失語症と呼ばれる失語症を発見し、それと対応する脳の部位、現在はウェルニッケ野と呼ばれる側頭葉にある部位を特定しました。
ウェルニッケ失語症は感覚性失語症とも呼ばれ、唇や舌、口内の筋肉の働き、発話や文法的には一見正常であるにもかかわらず、意味のある発話が出来なくなり、話している言語の理解が出来なくなるという特徴がある失語症です。
ウェルニッケ失語症を発見した彼はこう予言しました。
「ブローカ野とウェルニッケ野のどちらも言語にかかわる部分なら、それらをつなぐ回路が存在するはずで、その回路を損傷したことによる第三の失語症が存在するはずだ」
そしてほどなくして、弓状束というブローカ野とウェルニッケ野を結ぶ神経の束が見つかり、この部位が障害されることによっておきる伝導性失語症というものが見つかります。理解や発話には全く問題がないのに、聞いた言葉の反復が出来なくなったり、単語の中の音が脱落したりする特徴がある失語症です。
脳の局在する人間の高次機能の証明と、それから予想される器質的な疾患が実際に見つかったという科学の勝利ともいえる発見でした。
ウェルニッケの業績により脳が人間に固有の高等機能を説明できるようになると、その他の部位がどのような機能を持っているのか気になるのが人情というものです。
ブロードマン、ウェルニッケの発見より少し時代は下ります。
ドイツ(当時のプロイセン)のフランクフルトの精神病院に勤めるアルツハイマー(Aloysius Alzheimer)という医師のもとに、ブロードマンという病理医が赴任してきます。病気療養中だったブロードマンはアルツハイマーにキャリアの相談でもしたのでしょうか。アルツハイマーはブロードマンに病理研究より基礎脳科学をやってみないかと勧めたそうです。
アルツハイマーの助言に触発されたブロードマンは当時開発された最新の染色法を使い、神経細胞の種類ごとに脳を染色してその濃淡、染色の深さ、異なる方法で染色された細胞の比率などから大脳がおよそ52のエリアに分けられることを突き止めました(ただしブロードマンは完全な脳地図を作る前に早世してしまい、いくつかの番号が抜けていたりします。)。当時はそれぞれの部位が果たしてどのような機能を持つのか、確定してはいませんでしたが、既知であったブローカ失語症とウェルニッケ失語症を引き起こす部位が、周囲からきれいに分けられていたことで、それ以外の部位にも特定の機能が局在しているのではないかという期待が高まりました。
ブロードマンによる脳の地図の発表は1909年、時代はいよいよ20世紀に突入します。
ちなみにブローカ野はブロードマンの44,45野、ウェルニッケ野はブロードマンの22野に相当します。
脳の、特に大脳皮質に局在する個別の機能が示唆され、それを裏付ける個別の証拠が大量に集まり始めたのですが、1950年代に至るまで、脳はやはり全体として特殊な機能を持つという考えが臨床の場を支配していました。脳を全体としてとらえる思想を支持していたのは、脳の特定の部位を破壊しても、記憶や学習の機能がそれほど低下しない場合があることを裏付ける実験があったからです。こちらの脳は全体で機能するという学派で有名なのはラットの迷路実験を設計したアメリカの学者ラシュレー(Karl Spencer Lashley)、そして犬を使った実験で有名なロシアの学者パブロフ(Ива́н Петро́вич Па́влов)などです。
第二次世界大戦前夜ともいえる時代のことです。当時はアメリカもロシアも国内で民主主義と共産主義が猛烈に対立をし、ほとんど内戦のようになっていました。
そして戦後、平和を謳歌する国々では脳に関する新たな知見が続々と発見、報告され始めます。
この入門記事の最後に
この章で登場した人名にはWikipediaへのリンクを貼ってあります。彼らの略歴、そして発見の意義など読んでみて、もし興味があればさらにリンクをたどって様々な記事を探索してみましょう。彼らの生きた時代背景、勤務先だった場所の現状、著書の原文や実験に使われたであろう器具や好んだ料理など、その時代の人物になり切って広大なインターネットの世界を旅してみてください。文字を追うだけでなく、実際に手触りや雰囲気を想像し、味わい、白黒写真に色を付け、音を感じ、平面や記号の中の彼らを隣人のように感じてみましょう。また、同じ時代の私たちの国では何が起き、どんな発見があったでしょうか?当時の日本人は脳に対してどのような認識を持っていたのでしょうか?
思考の旅を終え現代に戻ってくると、累々と積み重なった人類の知識の層が我々の足元に積み重なっていることがわかるでしょう。そして現代人の脳はこの星の天空を破り、近く銀河や星の世界にまで子供たちを届かせようとしています。
この入門編Iを通して「ああ、なるほどなぁ…」と深く深く体験していただけると幸いです。
それでは入門編Iはこのあたりにして、今後は入門編II、移動と脳トレI、そしてIIと記事を続けていく予定です。お楽しみに!