その手段でストレスを解決できると知ってしまった後に
長文ファンの皆様おはようございます。
人間は辛い時に「解決する手段があると知っている」と、その選択肢が常に頭の中をよぎるようになります。
人間が何かを選択するのは、良い感情の獲得であり、悪い感情の解消だとも言えます。
人生は解消手段を知る旅でもあります。子供の時はイライラしても、お菓子を食べるとか、人に当たるとか、ゲームや漫画にハマるとか、そんな解消方法しか知りません。選択肢がないわけです。
大人はそうではありません。多様で、大量な感情の解消手段があります。酒、ギャンブル、性、SNSなどがあります。しかも、それがビジネスになっている。
お金がある人に対しては、むしろ向こうから積極的に解消手段を紹介してきます。
解決手段を知ること自体は必ずしも悪いことではありません。
社会はストレスが多く、感情をうまく解消していかないと辛い。自分なりの手段を見つければ上手くバランスが取れます。
一旦この手段で解消できるのだと脳が学習すると、感情と結びつきます。そして、反射的にその手段を選ぶようになると、依存症になっていきます。
依存症は「学習されすぎたストレス解消手段」と定義することもまたできるのではないかと思います。
だったら、何も知らずに生きていけばいいじゃないかとつい思ってしまいますが、社会にはたくさんの誘惑があり、あらゆる経路で解消の手段を知る機会があります。
対策としては以下かなと思います。
①ストレスを抱えない。淡々と生きる。
②選択肢を知らずに生きる。
③違う経路を作る。
①は理想ですが、なかなか難しい。
②はおそらく昔の地域社会や、宗教のやり方で、やや禁欲的に、コミュニティの力で守っていく方法です。
③は比較的健全な依存先を見つけることです。私の競技人生でのストレスの逃避先は本でしたが、ギャンブルでも薬でも可能性はゼロではなかったと思います。
一度、選択できると知ってしまったなら、今度はそれをうまく扱う技術が必要だと思います。