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手段と目的2014年11月03日

手段の目的化というものがある。速く走るために必要なスキルがあるとして、その習得に一生懸命になっているうちに、そのスキルの習得自体が目的になってしまうというもの。本来の目的が何だったのかを見失ってしまうこと。

陸上競技はシンプルで、ピストルが鳴ってからルールの範囲で走り、ゴールに最も早くたどり着いた人が勝者だった。ゴールはトルソーと言って胴体で測定される。胴体がゴールに早くたどり着きさえすれば、足が速くなくても構わない。

一生懸命に競技をやっているうちに、だんだんと妙なこだわりが生まれてくる。足を速く動かすことにこだわったり、綺麗に動くことにこだわったり、速く走る方法を説明することにこだわったりするようになる。それらは最初は手段であったものだけれど、成功体験を経るうちに、人はこの方法でなければ勝てないと思い込んでいく。こういう選手は気付かない間に手段が目的が変わっている。そうなると努力すればするほど道中に固定されていく。

スポーツ自体が変わってしまうのではなく、人間が徐々に手段であったはずのものに心奪われ目的を見失う。いや、正確に言えば目的を見失っているのではなく手段に執着している。まるで雪山の中足元を見ながら歩いていると、長時間ずっと同じ場所をグルグル回っていたという話に似ている。違いはスポーツは雪山ではなく、ふと顔を見上げればいつもシンプルな目的が山頂にあるということだ。

手段に拘ってはならない。目的に意識を置かなかければならない。その点においてあまり頭が鋭く動く人よりも、少し鈍感な人の方が手段の目的化に陥りにくいのかもしれない。


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