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評価システム
アスリート時代に社会とずれていると言われることが多かったですが、今考えるとそれは社会の評価システムに適応していないということだったのだと思います。企業は顧客に評価され、役員は株主に評価され、社員は上司に評価されます。その評価によって自分の成功が決まっていく。この評価システムの中で評価を受けることができる人が仕事ができる人で、評価システムに馴染めている人が良い社会人です。もちろんアスリートも評価を受けていますが、それは他者ではなく試合結果です。シビアと言えばシビアですが、他人の好き嫌いやバイアスが評価に入ることはあまりありません。ですからアスリートは清潔とも言えますし、世間知らずとも言えます。
この評価システムが身につくと自分を評価する人は誰かを強く意識するようになります。人間を動かす仕組みとは突き詰めると、この評価システムのことです。動かしたい方向に人が動くように、評価を設計するということです。評価者の評価によって自分の成功が影響を受ければ受けるほど、強く意識をします。政治家が有権者を極端に意識するのはそのためですし、流動性が低く新人から上り詰める仕組みの官僚が人事を恐れるのもそのためです。またフィードバックが早いほど行動もまた短期的になります。昨今のメディアはすぐPVなどの指標で数字が出るので、評価者に数分単位で振り回されます。
聖職と言われる教育、医療などの世界は評価者の評価がダイレクトでは無いために顧客に振り回される必要がありません。今の顧客が望んでも、長期的にはその顧客のためにならないことをやらなくてもいいのは評価がダイレクトでないからです。他方、評価の影響が小さいために価値を提供しなくても自分の立場を追われることがありません。このような職業は評価によって振り分けられることがあまりないので、崇高な理想に走る人と、ただの現状維持に甘んじる人と極端に分かれます。
少し似ていますが権益が守られまたは必要不可欠なものなので評価者の評価が入り込みにくい職業もあります。このような職業に就いてしばらく時間を過ごすと、いい人、ぼーっとしてる、ゆっくり、傍観者的な姿勢になることが多いです。評価にさらされていないのでギスギスしていないのですが、評価によって自分達や自分が振り落とされることがないので、危機感もまたありません。
組織が大きくなると評価システムは歪みやすくなります。本来の評価者である顧客とは関係のない社内政治が重要になるのも評価システムが何重にも複雑になるからです。こうした組織の歪みに疲れた人が、直接他者にありがとうと言われるような仕事に憧れるのはダイレクトで歪みのない評価が欲しくなるからだと思います。
以前は右左といった政治思想で人は分かれていましたが、最近は評価システムの影響が強いところで生きている人か、評価システムの影響が弱いところで生きている人かの違いが大きいと感じます。前者は日々評価を受けながら生きているので今の現実から出発しますが、後者は日々評価を受けないのであるべき理想から出発することができます。アーティストが理想を掲げることが多いのは評価システムの中にいながら、顧客が確定し抜きん出ているからだと思います。SDGsなどは評価システムに身を委ねていれば社会は良くなるはずだという考えに対し、理想から出発し評価システムを強制的に変えなければ社会は良くならないだろうという考えではないかと思います。
評価システムは競争を生み、評価されることに疲れた人は癒しを求めます。評価せず自分であるだけで自分を慕ってくれるペット、評価者たる他者がいないアウトドアや郊外、やればやるだけ成果が出る植物などに向かいます。社会の評価は常に価値を生み出せる「能力」に向かいジャッジされているという感覚を私たちにもたらします。一方、私たちは自分が自分でいるだけで愛されたり認められることを望みます。評価されたいが、しかし素のままの自分を受け入れてほしい。この間で現代人は悩み揺れ動いているように見えます。
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