優しさは弱さなのか
インターネットはたくさんの情報を届けてくれる。一方で、それは予想外にいろんな情報に触れてしまうことにもなる。気に食わない人に怒ったり、好きな人の話で喜んだり、悲しい話で悲しんだりする。さらにsnsは人との交流を盛んにした。そういった感情がシェアされたり時には加速したりする。
交流が盛んになるとsnsで誰もが心ない意見を寄せられる可能性がある。人の意見なんか気にするな、自分を信じてくれる人だけに発信すればいい、人は変えられないから自分だけにフォーカスすればいい。それは確かに正しいかもしれないが、人から何を言われても動じないように強くなるしかないのだろうか
共感が高く心が優しい人というのはいる。または繊細で傷つきやすく、人の気持ちを察しすぎる人というのもいる。生まれながらなのか、幼少期の環境か、人生でのある時期での出来事が影響してかわからないが、このような人が誰に何を言われても動じないようになるのは大変厳しく、辛すぎる。
優しい人は場の空気が温和でないだけでそわそわし、空気を変えないとと焦ってしまう。誰かが怒っているだけで自分が悪かったのではないかと思ってしまう。自分に向けられた悪意だけではなく、他人同士の悪意のやりとりにすら傷つく。人の感情が内側に入り込んで影響されてしまう。
自分と同じような気持ちの人を見つけほっとしたり、ちょっとだけ笑って過ごしたいだけなのに、そこに至る道中で誰かが傷ついていたり、攻撃し合っているものが目に入ってしまう。分断はよくないが、分断をなくせば大体マッチョ思想が全体を埋め尽くす。支配した側は自然淘汰というのかもしれないが
優しさは弱さなのだろうか。