教育の最大目標
教育は変わらなければならないとよく言われますが、それが事実なら一体なぜそうなったのでしょうか。そうならざるを得なくなった社会背景の変化とはなんなのでしょうか。
現在43歳になる私が受けてきたような教育とこれからの教育の決定的に違う点は、学びの賞味期限の違いだと思います。私たち世代は20歳周辺までが学ぶ時代で、それから先は学びを応用して社会に価値を出していくと考えていました。それは暗黙のうちに、社会で必要とされる知識もスキルもそれほど変わらないという前提がありました。ところがテクノロジーの進化ペースが早まることにより、常に知識と技能が陳腐化するようになりました。むしろ昔の学びによって身についた癖が、成長を阻害することすらある時代です。そういう人にとっては学ぶ前に、忘れることを努力しなければなりません。
10年経つと役に立たなくなっているかもという前提で学ぶということですから、学びと仕事の期間を人生で二分するという根本的な考えが崩壊したということだと思います。
学校や大学で学んだことが役に立たなくなったわけではなく、依然としてそれらは重要だと思います。ただ、その基礎的なリテラシーの上に乗っかっている知識と技能がどんどん陳腐化するのでアップデートし続けないといけないし、必要なら基礎に返って学び直し続けないといけないということだと思っています。NFTとか聞いていても素人が技術的にわかるわけがないですが、なんとなくでもいいから感触を掴むためには、やはりリヴァイアサンとか、そういうところから考えないと流行りに右往左往する羽目になるのではないかと思います。学びと仕事を行ったり来たりして、決して学びに終わりはないという前提に立つ必要があります。
生涯にわたって学び続けなければいけないとしたら、人生の前半で得なければならない一番大事な能力はなんでしょうか。私は能力よりも根本の姿勢の「学ぶことを好きになるか嫌いになるか」が重要になると考えています。80歳まで嫌いなことを続けてくださいと言われたら、いくら2,30年頑張れてもどこかで息切れするのが当たり前です。80年間続けるとしたら、それを楽しい、面白い、好きだと感じるようにするしかありません。生涯にわたって学び続ける必要があるということは、無理して学ぶのか、好んで学ぶのかの、学びに対しての姿勢の違いが決定的に効いてくるということです。
私がアスリートであった時、他国の選手と合宿をしながら有利だなと思った点は、疲れてくるとどうしても私は味噌汁とかご飯を食べたくなりますが、アメリカの友人はハンバーガーとポテトと、砂糖たっぷりのケーキを食べたくなるのだそうです。これは同じ体型を保っていたとしても、日常的に欲望を抑制し続けているか、自然にしているのか、という大きな違いがあります。当然、体型を維持しやすいのは後者です。今回のは話はこれと似ていて、一体何を好ましいと思うようにするかが決定的に有利不利を生むということです。
人生の前半では何を学ぶかよりも、学ぶ喜びを覚えるかどうかが重要だと私は考えています。少なくとも本を読むことが好きだったというのが私の命綱です。その個人的な成功体験を押し付けて、息子に毎日読み聞かせをしています。