精神を病む妹と、その家族ー5ー
「お姉さん、大丈夫ですか?」
妹の夫はそう言って、目をパチパチさせながら私を見上げていた。
きわめて温厚な彼に、これまで声を荒げたことなどない。だが、怒鳴りたくなることがまったくなかったわけでもない。共稼ぎなのをいいことに、彼は転職を繰り返していたからだ。
「子どもができたら、こんな給料じゃやっていけないのでーー」
彼の転職理由はいつもこうだったが、大学中退の学歴の、何か特別な免許や技術、コネもない人間が、いい職にありつけると思っているのだろうか。まったくお花畑なやつだ。いつかガツンと言ってやらねばと、ずっと思っていた。
だが、妹がこんな状況にある今、ここ数年は辞めずにまじめに彼が働いていることは、この家の希望なのだ。過去の転職について今は言うまい。
「ごめんなさい、大声を出したりして。でも、心配だからーー」
私は彼への不満を飲み込み、謝罪してソファに腰を下ろした。目の前の妹はいつの間にか起き上がっていたが、今度はじゅうたんに顔を近づけ、イライラした様子で毛の中をほじくり返している。
「ちょっと、何してるの? やっぱり入院したほうがいいんじゃないの!」
どう見ても異常な妹の動作を見て、私はパニックに陥り、また叫んだ。
「し、仕事しないと、お、お金がないのよ」
妹は震える声でそう言いながら、じゅうたんをほじくり続けている。
「お金は、私が貸すから」
妹の体に触れるのも恐しく、耳元に顔を近づけてささやいたが、「絶対返せない」とつぶやかれ私は口ごもってしまった。私だって、お金に余裕があるわけではないのだ。
「今は仕事するより、1カ月くらい入院して、体調を元に戻すのが先なんじゃないの? だって、今の仕事もちゃんとできないんでしょ?」
私の詰問に妹は手を止め、じゅうたんから顔を上げた。そして、悲しそうな表情でうなずく。
「1カ月なんてすぐだよ。お母さんなんか3カ月、入院してたんだから。でも、それで元気になったし」
入院で回復した母を知る私は、何がなんでも妹を入院させたかった。
「そんなに休んで、お金、どうするの? 食費も高いし、最近は子どもに服も買ってあげてないんだよ。入院するにもお金がかかる」
妹はまた、じゅうたんに視線を落として言った。
「だから、貸すって言ってるじゃん! 返さなくていいから」
妹との、堂々巡りの対話を終わらせようと、私は覚悟を決めて言ったが、妹は無言のまま手を動かし続けた。
「落ちるところまで落ちれば、あとは上がるだけ。とりあえず、今のままで様子をみたらどうでしょう?」
黙って私たちの話を聞いていた夫が、そう口を挟んだ。この人って、どこまで能天気なんだろうかーー。彼の言葉に、私は呆れ果てた。だが、妹のこんな姿に絶望しか感じない私に対し、まったく動揺しない彼をうらやましく、頼もしくも思えてきた。
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