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精神を病む妹と、その家族ー10ー

    なんでこんなに待たされるんだろうか。  待合室は患者であふれていた。これでは予約の意味がない。ため息をつく頻度は上がり、スマホをいじる指使いが乱暴になる。  妹に殺されかけた怒りはまだ収まっておらず、私の苛立ちはピークに達していた。 「ごめんね。カウンセリングが長引いてるんだと思う」  この心療内科では、医者の診察の前に専門家によるカウンセリングが行われる。  イライラは妹にも伝わっているのだろう。そう言って、何度も私に謝罪した。待たされることより、自殺に巻き込もうと

    • 精神を病む妹と、その家族ー9ー

       妹の診察日は朝から大雨だった。玄関の窓から外を見ると、門の前にはもう妹の車がとまっていた。  じゅうたんを延々とほじくり返す人間が運転する車なんぞには、絶対に乗りたくない。私は電車で向かい、現地集合のつもりだったのに、妹は自分の車に乗せていくと言って聞かない。乗らないのなら病院へは一人で行くと言うので、仕方なく迎えに来てもらうことにした。 「おはよう。調子はどう?」  車のドアを開け、私は妹の様子をうかがいながら、明るい口調で言った。少しでもおかしな言動があれば、躊躇なくタ

      • 精神を病む妹と、その家族ー8ー

        「呪われてる気がする」  妹が自分の現状を嘆いて口にした言葉を思い出していた。何に呪われていると思うのか、具体的に聞きたい気持ちもあったが、霊の仕業とかいう話となると、これまで私が得てきた膨大ではあるが薄っぺらい知識で解決策をあれこれ提示し、それを実践した妹が更なる不幸に見舞われかねないので聞き流した。  今、背後から聞こえた男の声は、妹のその言葉に関係があるのではないか? 恐る恐る振り返ると、いつからそこにいたのだろう、妹の息子が無表情で立っていた。 「今、何か言った?」

        • 精神を病む妹と、その家族ー7ー

           妹からあのLINEを受け取って以来、私の頭の中の大部分は妹のことで占められていた。常に妹が無事かを案じ、何を食べても味はせず、本を読んでも内容はつかめず、しかも、眠りは浅い。  自分も妹と同じ暗い沼に引きずり込まれようとしているのか。なんとか足をバタつかせ、湖面から顔を上げ続けなければと思っているが、力尽きていつ沈むかわからない。  妹について、あれこれ良からぬことばかり考えてしまう。一番の恐怖は妹が突発的に死を選ぶことだが、そばにいる子どもたちのことも気がかりだ。じゅうた

          精神を病む妹と、その家族ー6ー

          「実は、私もうつになったことがあるんです」  私の表情が緩んだのを感じたのか、妹の夫が突如、カミングアウトした。 「営業をしていたある日、急に目が見えなくなってしまって」  彼はそう言いながら、テーブルから立ち上がり、じゅうたんに目をこらしている妹の横であぐらをかいた。 「うつで目が見えなくなった?」  うつ病で視力障害が起こるとは初耳だった。それ以前に、彼のような能天気なタイプが精神疾患にかかるとは到底思えない。嘘ではないかと、私は訝しんだ。 「そう、視界がぼやけて、はっき

          精神を病む妹と、その家族ー6ー

          精神を病む妹と、その家族ー5ー

          「お姉さん、大丈夫ですか?」  妹の夫はそう言って、目をパチパチさせながら私を見上げていた。  きわめて温厚な彼に、これまで声を荒げたことなどない。だが、怒鳴りたくなることがまったくなかったわけでもない。共稼ぎなのをいいことに、彼は転職を繰り返していたからだ。 「子どもができたら、こんな給料じゃやっていけないのでーー」  彼の転職理由はいつもこうだったが、大学中退の学歴の、何か特別な免許や技術、コネもない人間が、いい職にありつけると思っているのだろうか。まったくお花畑なやつだ

          精神を病む妹と、その家族ー5ー

          精神を病む妹と、その家族ー4ー

           妹の家は、私が暮らす実家から電車で約30分。近いといえば近いのだが、会わなくなればそのまま一生会うことなく過ごせてしまう距離だ。実のところ、この日が妹の家を訪ねた最初だった。  駅からスマホの地図を見ながら、曲がりくねった細い路地を進む。取り壊された古い住宅1軒のあとにはおそらく、今どきのコンパクトな住宅2,3軒が収まっていそうだ。隙間なくびっしりとマッチ箱のような住居が立ち並ぶ光景に息が詰まりそうになる。  もうこの辺りのはずなのに、なかなか家にたどり着けない。葉っぱにぎ

          精神を病む妹と、その家族ー4ー

          精神を病む妹と、その家族ー3ー

           精神疾患を持つ患者さんたちと日常的に接していれば、その影響を受けることもあるだろう。だが、妹にはもともと精神病気質があった。今は施設で暮らす母が60代のとき、重度のうつ病を患ったことがあるのだ。  ただ、精神病の発症は遺伝的要因の関与以外に、環境やストレスなど後天的要素も大きく作用する。幼少期に母との関係をうまく結べなかったことや、現在の多忙すぎる生活が、妹の脳の奥深くを蝕んでいるのではないか。  妹は私の3歳下で、自己主張が強くわがままな私とは違い、物静かで従順な子ども

          精神を病む妹と、その家族ー3ー

          精神を病む妹と、その家族ー2ー

          「どうしようって、何が?」  妹のこんな弱々しい声を聞いたのは、子どものとき以来だ。家の中で鬼ごっこをしていて、私が押し入れの奥に隠れたとき。「お姉ちゃんがいない、お姉ちゃんが消えた。どうしようーー」。襖の向こうから聞こえてくる妹の不安気な声を思い出し、私は気が動転してつい大声を出してしまった。 「仕事がーー簡単なことも覚えられないんだよーー」  妹は苦しそうに、途切れ途切れに言った。なんだ、そんなことか。あのとき、妹の不安な声に私も怖くなって、すぐに押し入れから飛び出すと、

          精神を病む妹と、その家族ー2ー

          精神を病む妹と、その家族ー1ー

           4月に入ったというのに夜はまだまだ肌寒く、毛布に包まりながらの寝るまでの恒例、心霊YouTube視聴タイム。最近ハマっている三茶の心霊物件関連の動画を恐怖におののきながら視聴していると、画面の上部に「お姉ちゃん、元気? いろいろ困ってる」というLINE メッセージが。幽霊以上に戦慄を覚え、妹にすぐさま電話した。  妹に最後に会ったのは約2カ月前。ここ何度か転職を繰り返していたが長く勤めていた職場に戻れることになり、身元保証人書類の記入を求めて家にやってきたときだ。お願いす

          精神を病む妹と、その家族ー1ー