カウンセリング向きの性格、そうじゃない性格
中学生の弟は、しばらくの学校に行っておらず、週に一度カウンセリングを受けていた。
現在は通うのをやめたのだが、どうもカウンセリングが肌に合わなかったらしい。
そこで、今回は弟が話したことを元に、カウンセリングの意義や、適性について考えたことをまとめてみた。
カウンセリングのきっかけ
弟は朝起きるのがとても苦手で、いつも学校のある朝は機嫌がよくなかった。また、言葉や人の視線に敏感で、かつ対人関係も苦手なこともあってか、しばらく学校を休んでいた。
その間、「カウンセリングに行くか、学校に行くか」という二択の提示のうち、弟はカウンセリングを選んだため、カウンセリングに行くこととなった。
カウンセラーとの付き合い方
弟は、2週に1回、カウンセラーと自身の近況や学業、また好きなものについて、学校に行くことなど、世間話や現状報告をしていた。
しかし、変化のない生活に加え、カウンセリングの頻度が週一回にペースアップしたこともあり、世間話や近況報告はすぐに終わってしまった。そのため、自然に好きなものや趣味に話題が偏る。
弟はかなりのゲーマーで、必然的に話はゲームやYoutube、漫画などが中心となった。
しかし、カウンセラーの方は弟の好きなジャンルにあまり明るくない方だったらしく、弟にとって、話す内容が当たり障りのない話に限定されるのがストレスだったようだ。
本来、カウンセリングで楽しく話をする必要は無いのだが、沈黙が長引くと、居心地が悪くて自分を責めたり、「どうにかして間を埋めなくては」と焦ってしまう。
だから、カウンセラーといえど、他者と一対一で向き合うというシチュエーションに、どうしてもリラックスして本心を話せなかった。
いくら優しく共感してくれたとしても、カウンセラーの共感は職業的な物である。加えて、弟は自身の不登校について、特に重く捉えていないので、わざわざ自分に時間取らせること自体に申し訳なさを感じた。
それなら、自分以外に、カウンセリングを必要としている人に時間を取った方が建設的で、自分と話す時間よりも、ずっと必要なことだと思った。
そんな緊張した状態で過ごす1時間は、とても
長く感じたという。
カウンセリング向きの性格
カウンセリングが合わなかったのは、弟の思考と言語化の方法が関係しているのではないか、と考えた。
カウンセラーは、相談者自身の考えを言語化することで、相談者の思いを整理させ、客観視させることで、相談者が自分と向き合うことを手助けする。その結果、学校や職場への復帰につながるのだと思う。
しかし、悩みを話し、共感を得ることで悩みや悲しさが半減する、対話型の思考をするタイプもいれば、そうでない内向的な思考をするタイプも存在する。おそらく弟は後者である。
弟は、自分の感情や思いを話すうち、思ってることを全て言わなくては、と焦ってしまい、どうでもいい微細な考えまで口に出してしまう。
結果として、自分の考え以上に言葉ばかりが散らかって、自分の本心がわからなくなるのだと思う。
そういったタイプはおそらく、知識のインプットによって自分自身を掘り下げる方が得意なため、言葉にしたり、絵を描いたりして自分と向き合い、自分を客観視できるやり方の方が得意だ。
弟は人と喋りながら考えるよりも、ゲームの待ち時間や、単調なことをしながら一人で考える方が得意であったため、カウンセラーと話すことで、自分について考えるきっかけにはなったが自分には合っていないと感じたという。
結論
思考や人によってカウンセリングの合う、合わないはあるものの、カウンセリングに行くことで、自分のことを見つめ直すきっかけにもなるので、試してみるのも一つの手であると思う。
対話によって思考が深まるタイプならカウンセリングが合うかもしれない。
しかし、内向的な思考が得意なタイプの場合、創作活動をするとか、自分の中で同じテーマについて考える方が得意なため、他者との対話では解決しないこともある。
よって、カウンセリングに通うことが完全な解決方法にはならないため、期待しすぎるのはあまり良くない。
あくまで選択肢のうちの一つであり、学校かカウンセリングという二択ではなく、他にも選択肢がある方が前に進みやすくなるのではないだろうか。