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赭とカーマインレッド、

洗濯機の中から化粧品が出てきた。

私は戦慄した。さっきまでげんきいっぱいで、寿命をもう少しで全うできそうだった赤い口紅が、無残にひび割れ、水に濡れ、ついでに柔軟剤のよい匂いを纏って現れたのだ。
早々に見切りをつけ、私は街に繰り出した。

電車内、でがたがた揺られていると、母からと七五三の写真が送られてきた。
ぎこちなくポーズを取る幼少の私の口元には、着物と同じ、青みがかった赤色が塗られていて、ふと十数年前のこのときのことを思い出した。


私の化粧嫌いの歴史は長い。
七五三で初めて化粧を知り、それから13年間、私は一切の化粧品を手に取らなかったくらいには嫌いだった。

その理由は明快で、

「自分が楽しくないから」である。


七五三の着物を着せられた私は、割とご機嫌だったように思う。
しかし仕上げに施される化粧、とくに口紅に強い嫌悪感があって、写真館の大人に「口紅はやめて」と直談判した(結局塗られた)

そのときはなんだか自分の顔に合ってないというか、慣れない違和感もあったし、なにより口元の化粧品の匂いが気になってたまらず、結局舐めとってしまった。

化粧に限った話ではないが、私はおめかしが大の苦手で、楽しさを見いだせなかった。
そこには、

・準備に時間を要すること、機能性が充実していないこと
・誰かに見られることを前提としていること
・社会的なジェンダーを意識する必要があること



が、私的楽しくなかったポイントである。

私は身体的に女性の体を持ち、それを理解し、自分のことを飾ること自体には興味があるのだが、

誰かに見られる必要がある場では、自分の趣味嗜好よりかは「ちゃんとして見えて、見栄えがいいかどうか」が優先になるため、

フォーマルな式典で、女性はスカートやヒールの靴、メイクのいずれか(もしくはすべて)の要点を押さえた服装が求められる。
つまり、身体上の性別を考慮した服装を整えることが出来ないといけないわけだが、私はいまだにこれがどうも受け入れられずにいる。

ちゃんとしてたらよくないか??パンプスとストッキングの相性の悪さって、最悪なんだぜ。足痛いし蒸れるし靴擦れするし。

さらにスカートやヒールを履いていると、走れないしそもそも足の行動範囲が狭いうえ、化粧には時間もかかるし、気軽に顔を拭ったりできないのがすごく不便。あと寒いし暑い。体温調節が難しいし機能性が死んでいる。

スカートにパンプス、化粧も髪型もちゃんと整えた、「女性的で小綺麗な身なり」のために行動を制限されるような感じがとにかく苦手なため、少なくとも自分にまつわる冠婚葬祭のどれもできるだけしたくないくらいには避けて生きている。

そんな機能性を殺した服を着ていて褒められてもあんまり嬉しくない。
そのせいで常に落ち着かず、イライラしてしまうからだ。

だから、フォーマルな女性用の服が嫌いだし、化粧もそれに付随して苦手だった。
私にとって化粧をすることには、自分を「社会的に女として活動できる」というアピールするための道具であり、自分がひとりの人間である前に女であることが視覚的に前に出る感じがして、ずっと苦手だった。

そこから、普段着でも女性らしい服や、化粧への苦手な気持ちが積もっていき、化粧品を手にしてからも、あまり使ってこなかった。


そんな私は、ここ最近ワンピースを纏い、フルメイクで外に出るようになった。

我ながら不思議だと思うのだが、この考えは、

・誰かに見せることを前提としていないこと
・機能性の確保できて自分に似合う服の存在
・身体的、社会的な意味が無いこと


が揃っていることで、初めて生まれてきたものだと思う。

前の相棒、赤い口紅は、パケ買いしてあまり期待していなかったのだが、思いのほか顔になじむ色で、

「かわいい!似合うなあ」
と、思いがけず鏡の中の自分に褒め言葉を連発していた。
社会的な女性としての云々とかっていう自論とか、そういうの関係なく、素直に自分の顔が魅力的に思えたのは初めてだったのだ。

つまり、誰の目も意識しない、完全に自分の好みであって、

そこで初めて、「好きな物、似合う物を身につけてもいいんだ」と思えた。
そこから、気になったワンピースも、綺麗な色のスカートも試せるようになって、物を買う基準が「人にどう言われるか」を考えるよりも、「気に入ったから」「似合うから」という単純な感情を優先できるようになってきた。

どうしても着たい服があったら、体温調節がしやすい工夫をして、自分に似合う服を着たい。そこに意義とか、どう見せたいとかって意味づけは思っていたよりも必要じゃない。

自分を女性として見せるために女性らしい服を着るのではなく、自分が似合うから着る、という考えを得たのだ。
そもそも女っぽい服しか着ちゃだめ、なんて誰も言ってないし、強烈な自己洗脳の結果とも言えることにも気づけた事も大きい

我ながらすごい進歩だと思う。


五歳で拒否した赤い口紅は、まわりまわって二十で私を変えてくれたのだ。


赤色=女としての自分、だけじゃなくて、私らしさにもなり得る、という可能性を教えてくれた。


今年、私は成人式で赤い着物を着た。

かつての相棒の口紅の赤色で化粧をした。
前みたいな青い赤じゃなく、唇を彩るのと同じ、深い赤を纏った私は、いままでで一番自分らしい顔で、笑っていた。

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