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子供の頃のわたしへ

小学生のころの私よ。
こんばんは。
あなたは、毎日感情を押し殺して過ごしていたね。
いつしか誰のことも信用しなくなっていたね。
なんか、大変だっよね。毎日が。
上手く自分の感情を表現出来ず、
苦しかったよね。
お父さん、お母さんが離婚して、家業のスナックなんて潰れてしまえ。御客も酔っ払いばかりで大嫌いで気持ちが悪いとさえ、思っていたよね。
でもね、あなたのお父さんは、79歳の年明けに、行動が少しおかしくなり、会話もちょっと変だな。ということに気がつくとこになります。
毎日、お酒を飲んでいるから、
その影響か、加齢の為の認知症かな。くらいに思っていると、
慢性硬膜下血腫でした。
リハビリのついでに、レントゲンをお願いして、それで気が付きました。
直ぐに手術となり、数ヶ月で退院できるかと思いきや、癲癇を発症し、それからずっと9月末頃まで、入院。

『ねえ、小学生の私よ、あなたは、お父さんの事が苦手だったね。あまり好きではなかったよね。』

でもね、大人になっても、やはり何か隔たれたものはずっと取れていないままだったよ。
関係性が終わったのは、お父さんが入院してからだよ。
とは言えね、
飲んだくれて、八つ当たりでお母さんに暴力を奮っていた事は忘れてないし、私も傷ついたことは覚えているから、お父さんのことは、いつまでも引っかかったままだったよ。

こんな病気で、入院してるのも、
自分が作り出した人生で、それはお父さんの生きざまで、
お父さんの物語なんだよ。
お母さんに、ずっと酷いことしていたから、因果応報なんだよ。
なんて、冷めた気持ちでいたけどね。
だけど、やっぱり、昔のように
シェイカーを振って欲しいと思ったよ。

お父さんが、入院してから、時々、
お店を手伝うようになります。
子供時は、大嫌いだったスナックを
手伝うことに決めます。

何年か、前には、お母さんが、自己受容のカウンセリングで、好転反応が出てしまって、70年溜め込んだ感情が流れ出て、お父さんは、それを知らなかったので、数日寝込むお母さんを心配して、
救急車を呼んでしまって、そのまま入院になりました。
その時も、私は、ちゃんと好転反応の話を伝えていなかったので、申し訳ない気持ちで、数ヶ月、お店を手伝いました。

なんだかんだ、お母さんが心配で、
お父さんのことは嫌いになれないし、憎めなくて、
大人になった私が苦しい時に、2人に助けてもらったこともあって、
自分に出来る何かで、形にして、手伝うことが出来れば……
という思いで、スナックを手伝います。

子供の頃の私は、
人見知りで、家族以外の人と会話すること関わることさえ、泣くほど苦手で、
お店で、お母さんがカラオケを歌ったり、デュエットしてると、怒り狂って癇癪を起こして、お店に怒鳴り込んでたよね。

そんな、あなたも中学生になると、
自信を持たせてくれるクラスメイトの
男の子、深ちゃんとピンの二人と出会います。

その子達のお陰で、冗談も言えるようになります。
笑えるようになります。
色んな人と会話ができるようになります。

その後も、大人になって、色々経験して、苦労も痛みも分かるようになってきます。

そんな色々な人に支えられ、親のありがたみも分かるようになって、
スナックを手伝うようになります。
嫌いだったカラオケも、盛り上げ役になったり、自分で歌ったりもします。

子供の頃には、想像も出来ないことばかり、大人になって、楽しんでお母さんの手伝いをしています。
時々、飲みすぎる、お母さんに注意をしたりもするようになります。

お母さんも、逞しくなりました。
いつも泣いてお店に出ていた、あの頃の、お母さんとは、違います。
お母さんの事を、大好きでお店に通ってくれる、お客様が沢山います。

だから、未来は明るいです。
大丈夫です。

とっても楽しいよ。
色々、支えてくれる仲間もできて、
いつも孤独を感じて、
それなら1人がいいよ。と思っていつも1人で過ごした、子供の私だったけど、
大変なこともあるし、困る出来事もあるけど、85パーセントくらいは、
楽しい人生になってるよ。
いや、90パーセントかな。

お母さんが、お店を頑張って続けていく間は、応援して手伝うよ。

大丈夫、不安にならなくても。
大人になって楽しいことは見つけられるよ。

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