【書評】 「逸話」から始まる。──ドリヤス工場『文豪春秋』(+長嶋有『俳句は入門できる』)
文學界2020年8月号掲載。
ツイッターのプロフィール欄に記された肩書きは「パチモン作家」。水木しげるの画風を完全トレースする作風で知られる漫画家・ドリヤス工場のブレイク作が、「◯◯すぎる文学作品をだいたい10ページの漫画で読む。」シリーズだ。国内外の著名な近代文学作品の数々を、はしょりにはしょって超短編漫画化した同シリーズは、「今はもうなかなか読まれなくなってしまった一昔前の文学作品に、現代人がどうやったら興味を持つか?」という問いに対するひとつのアンサーでもある。「要約」だ。ネタバレなんて気にしなくていい。大オチまでのあらすじを圧縮して差し出すことで、一読目をクリアさせる。時代を超える名作は二読にも三読にも耐え得るのだから、あとは興味を持ったところから個々人が原典に当たればいいよね、と。
それとは全く異なるアプローチで先の問いに答えてみせたのが、本誌(※文學界)にて連載されこのほど単行本化された『文豪春秋』だ。文藝春秋の若手女性編集者が、社の創設者である菊池寛の銅像に話しかけられ、近代文学の文豪たちについて学んでいくというのが基本パターン。第1回の太宰治に始まり第30回の芥川龍之介まで、日本近代文学の30名+αの文豪たちの人生が、各回きっちり5ページで紹介されていく。いや、一人の人生を5ページでなんてさすがに「要約」は不可能だ(かなりやってのけているけれども!)。だからドリヤス工場は、とある要素を取り出し集中的に描いて差し出すこととした。文豪たちの人間性がよく分かるような、「逸話」だ。これがまぁ各回本当に面白くて趣深くて変態的で、実に濃厚。「作者」を知ることで「作品」に導く、という入口作りに成功している。
俳人としても活躍する作家の長嶋有が、著書『俳句は入門できる』で指摘していたことを思い出した。<今の俳句の世界に欠けているものは、「優れた俳句」でも「若手の存在」でもない。「優れた俳句を紹介する存在」や「批評」でもない。欠けているのは「逸話」だ>。作り手たちに関する「逸話」が外部に広がることで、作品読解のバイアスに繋がってしまうとしても、それを引き受けてこそシーン全体が盛り上がっていくのだ、と。もちろん、ことは「今の俳句の世界」に限らない。「今の小説の世界」や「今は読まれなくなった近代文学の世界」でも、この方法論はアリだろう。
一昔前によく聞かれた「入口を間違えるな」的なアドバイスは、もう無理だ。現代社会では娯楽の種類や数が無限に膨らみ、文学に通じる入口自体がなかなか開いていないのだから。だから、まずは「逸話」でいい。『文豪春秋』のアプローチを、断然支持したい。
※ドリヤス工場『文豪春秋』は文藝春秋刊、長嶋有『俳句は入門できる』は朝日新書刊。